text by Arata Sasaki
ヒトは、目隠ししたまま直進を続けると、やがて円を描くようにスタート付近まで回帰すると言う。
それでもヒトはその事実に気付く事もなく、更に円を描き続ける。
渦を描くように円の半径は少しずつ短くなり、その円の面積もまた減少していく。
あたかも、自らの空間はいくばくかの広さを持つ円で良いかのように。
僕らは幼い頃から、ゴール設定を設けてその難問をクリアする努力をセットされて来た。
これは正しい事なのだと思う。
濁流のような速い流れの資本主義社会では、目的なきものは海中にふわふわと漂うクラゲのように目的地には到底辿り着けず、その暴力的なまでの流れに飲まれてしまうだろう。
ささやかな時間は、あまりに脆くもぎ取られてしまう。
僕らはその希少な時間を忘却し、感じる事自体を放棄し、心を鉛のように硬化させるのが得意になってしまった。
『この世は、考える者にとっては喜劇であり、感じる者にとっては悲劇である。』
18世紀イギリスの政治家ホレス・ウォルポールの名言に多くの現代人が共感したのは頷ける。
しかし、この濁流の中で、ささやかな時間を留まらせる空間が存在する。
それは創られたものだろうが、元来、カントも唱えたように時間と空間はアプリオリな概念であり、自然と存在していたとも言えるかもしれない。
僕らは背伸びをして、それぞれの目的地に向かう為に少し寄り道するのだ。
自ら考えて、自ら形にしていく思考と実践の場「PLY.」は、大井町線 大岡山駅にある。
「PLY.」では現在、レタープレスを中心にselfserviceの新しいかたちを提供している。
この「PLY.」を訪れたのは、後輩に教えてもらった数日後であった。
レタープレスに興味を持ち始めていた僕には、ドストライクな場で、即ウェブサイトからメールで予約を申し込んだのだ。
当日、朝早く家から二子玉川経由で、大井町線の電車に乗り込んだ。
朝のラッシュから少しずれたその時間は、年配の方が多く、田舎へ小旅行へ向かうような何とも高揚した気分となった。
大岡山駅から、東工大の脇を歩いて、そろそろ直進するのが不安になった頃、PLY.は存在した。
古い建築物が並ぶ中、何か逆らうのではなく調和を意識したような佇まいでちょこっとPLY.は座っていた。
出迎えてくれたのは、新保慶太さん新保美沙子さんの夫婦と、もう一人のメンバーである目黒洋子さん。
PLY.に入ると、パン屋さんに訪れたような何とも柔らかい空気が漂っていた。
実際、香ばしい匂いのようなものを嗅覚が感じたような気がする。
作業用の美しい木目のテーブル、馬棚、キラキラと光っている活版印刷機などが所狭しと並んでおり、
童心に還るような何とも懐かしい気持ちになった。
逸る気持ちを抑えて、彼らが何故こうした場に儲けにもならないであろう実践の場 PLY.を創る事になったか耳を傾けてみる。
PLY.がスタートするきっかけは、レタープレスという共通言語によって結ばれたといっていいだろう。
しかし、そのレタープレスへのベクトルはこの道一筋といった直線的なスタイルではない。
「レタープレスは、歴史から考えて多くの文脈があり、複雑で未だ明確ではありません。
様々な捉え方がありますが、私達のレタープレスの捉え方は、どちらかというとアウトプットする為のひとつの方法論・手段であると考えています。
勿論、レタープレスはとても好きですが、それだけに縛られない表現方法を採りたいと思っています。
印刷という方法論に視点がいくのではなく「作る」という行為自体に重点を置いています。」
こう語るPLY.のメンバーの顔は、とても楽しい遊びを共有しているような何とも言えないはにかみを見せた。
少年・少女であった頃の秘密基地の制作現場のような。
勿論、社会人である彼らはこの場所をパブリックな場として、オープンにして行きたいというから、秘密基地とは似て非なるものな訳だけれども。
そもそもPLY.というネーミングは、「遊び」をキーワードとしているらしい。
日々を楽しむ事を大前提として、デザイナーとしての懐やアウトプットの幅を拡げる事が命題である。
その為には、多くのヒトに参加してもらい、コミュケーションを図る必要があるのは言うまでもない。
「私達の周辺には多くの情報がありますが、現代のデザイナーは、意外にアウトプットする方法に飢えていると思います。
私達は、このレタープレスというアイテム=方法論を得た事で、枷から解き放たれて自由になったような感覚あります。
PLY,は、遊びという自由を連想させる言葉とシンクロしますが、最初は活版印刷術を開発したグーテンベルグの出身地であるドイツの言語にしようかと思ったりもしたのです。
しかし、耳慣れない言葉になると、どうしても閉鎖的なコミニティになってしまう可能性があるので、解り易いPLY.という言葉で私達はオープンなコミニティを創ろうとしています。」
PLY.のメンバーと話をしていると、この場が開かれたものである事が良く解る。
お金儲けが悪いとは言わないけれど、ビジネスのあの独特な匂いは感じる人間とっては、敏感に反応する抗体が出来上がってしまった。
そうした空気がここには、全くない。
様々な文脈が流れているであろう機具は、静かに佇んでいるが、圧倒的な存在感を所有している。
クラフトマンシップが流れる場でありながら、ライトで流動性がある場。
おそらく、運営するPLY.メンバーの持つ空気感のせいかもしれない。
フィロソフィーがありつつも、変容を恐れない大きな幹はどのように今後、枝葉を拡げていくのだろうか。
「この場所には様々な関わり方が出来ると考えています。
ここは、訪れてくれる方がそれぞれの文脈を持って自らに向き合ってもらう体験が出来る場所。
そうして、その方々からフィードバックをもらって一緒にこの場を創っていきたい。
入り口はレタープレスだけれど、様々な形に派生していく場になれば良い。」
事実、オープニング・パーティでは、素晴らしい料理でモテナシが行なわれたようだし、魚を捌く会が催される可能性もあると言う。
異なるジャンルでも同じような哲学性を持つ事も可能だし、僕らは繋がりを見つけなければならない。
PLY.は様々な分野を結びつける一つの接点と言えるかもしれない。
一昔前は、様々な顔を持つ事は悪とされる傾向にあったように思う。
多様性も認められていなかった。
すべての人間の最適なゴールは、一定数の人数しか叶う事が出来ないヒエラルキーの構造になっていたし、そんな事を考えさせない暴力的装置が組み込まれていた。
しかし、ようやくヒトは気が付き始めたのだと思う。
ヒトはさまざまだし、ゴールもさまざま。
だから、還る場所と、冒険する為、寄り道する場を多く見つける。
こんな事を考えた時、PLY.はきっと寄り道をする場所なんだと思った。
「私達は、会社組織では得られないネットワークであったり、気付きであったり、そうした事をここでは実践したいです。
世間でいうブランディングでは、ゴールを定めながらスタートするのですが、ゴールが決まってなくても良くて、曖昧でも良いから、帰る事が出来るぶれない1本の哲学性があれば、寄り道しても良いのではないかと思っています。」
まだ、一度しか訪れていないPLY.を何度か思い出してみる事がある。
静かな1本道にあるPLY.はきっと夜になると、また違った顔を見せるのだろう とか。
良く耳を澄ますと帰路につくサラリーマンの帰る足音が、少し暖かい音楽を奏でるんだろう とか。
たった一度しか訪れていなけれど、その空間は僕を虜にする力が宿っていたんだなと考える。
寄り道した場も、知らないうちに記憶に留まり回帰する場になっているのかもしれない。
ヒトが本能的に回帰する場は意外と気がつかないのだから。
PLY.がそんな場になっても可笑しくないと思う。
あえて目隠しをして歩いて見るのも、楽しい生き方かもしれない。
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