最近の生活の愉しみは、高木正勝氏の新しいアルバム『Niyodo』を聞きながら、朝の公園をテクテクと散歩する事。
秋気が香り立つ朝の冷え冷えとした大気は、僕が冷血動物になったかのような錯覚すらさせる。
しかし、暫くテクテク歩くと小気味好いもので、心音が一定のリズムを持って僕の身体が暖まる合図を音をもって教えてくれる。
『あぁ。冷血動物でなくて良かった』と阿呆な事を働かせ独りごちながら、『Niyodo』を聴いていると聴覚も奇妙なもので、眠っていたであろう神経が覚醒し、現在に至るまで無意識であった音を拾うようになる。
トクトクと脈打つ心音から、鳥の囀り、さらさらと木々がそよぐ音、そして、遠方からは軽快なランニングの衣擦れの音と規則正しい跫音が聴こえて来る。
内から外へ音が広がっていくかのように、公園は、様々な音の性質を利用し組み合わせた一つの音楽劇場である事が解る。
イヤホン内の音楽を聴き入りながら、外へ意識を働かせるのは何とも不思議なものだが、日本には、『借景』のような庭園外の自然環境をも作品として取り込んでしまう芸術技法がある。
こうした事が腑に落ちた時、高木正勝氏の作品自体一つの完成されたものだが、”音を借りる” 事でまた新たな美しい世界を再構築しているのだと感じた。
©Saito Yuki
ところで『Niyodo』は、NHKドキュメンタリー番組「仁淀川 -知られざる青の世界-」の為に制作されたものであるという。
仁淀川は愛媛県、高知県を跨がって流れる一級河川で、河川近辺に住む人間の生活に密着しているにも関わらず水質は全国第四位と何とも美しい川だという。
人間と自然の共生の模範がここには存在しているから、自然音の介入が心地よく許されていたのであろう。
アルバムから滲み出る音は、自然と人間の関係性から生まれた音であり、いわばその関係性はサブジェクトとオブジェクトである。
おそらく、高木正勝氏は自然音を「許した」のであり、また「許された」のだと思う。
この非常に逞しく優しい音楽は、長い歴史の中、自然が人間を受け入れたように、人間もまた自然を受けいれなければならない事を暗に示しているのではないだろうか。
未曾有の震災が襲った2011年。
自然と人間の共生の在り方が露になった年であり、その対称性も問われる年であった。
そのような事を思考していた時、『Niyodo』は僕に「許容する」という懐の深さを教えてくれたような気がする。
何とも難しい行為であるが、何とも美しい行為。
僕には、高木正勝氏の美しい音楽集『Niyodo』は、そう映った。
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『Niyodo』
http://itunes.apple.com/jp/album/niyodo/id467245455
全11曲(単曲:150円、アルバム:1,500円)
作詞、作曲、ミックス:高木正勝
絵(電子ブックレット):さとうみかを
発売元:エピファニーワークス
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