
text by arata sasaki
颶風に見舞われている。
ホテルの母屋に当たる恵みの雨露は、パラパラと拍手のような心地よい音色から、人類へのフラストレーションをぶつけるような怒号へと唐突に変化する。
幸いにも、京都の九条に有るホテルの母屋でその怒号をBGMに撰述しているが、その不規則な音は、恵みと、そして、時には鬼胎を抱く象徴であり続け、同時に、その峻烈な接触音によって建物という物理的な空間が私を包んでいる事を認知させる。
そこに有る空間。
コミニティやコミニュケーションが、次世代への進歩の鍵と膾炙されて来ているが、その起点であり、力点であり、支点であり、受け皿でもある空間を知らずして前述した鍵が解ける筈もない。
京都には、歴史的な建造物が多く就眠している。
“眠る”と書いたがどうか誤解しないで欲しい。
生物が命が吹き込まれた時点から死に向かうように、通常の建築物も自然の持つエントロピーの力によって計らずとも死に向かっていると謂える。
しかし、歴史的な建造物には死が訪れないように修復を繰り返し昏々と時間を留める。
こうした歴史的な建造物を引き合いに出すまでもなく、建築物が有るという事は、空間が有るという事になる。
テセウスの船というパラドックスがあるが、建造物の物理的な構成物を置換した場合の同一性は、空間にあると念う。
人間に喩えるなら、人格から滲み出てくる雰囲気とも謂えるかもしれない。
現代美術家 杉本博司著の『空間感』は、面妖であるが本でありながら空間を感じる。
それはタイトルに空間とあったことではなく、高次元のテクストから匂い立つ空気感のせいである。
この空気感をデザイナー下田理恵(da)が、丹念に創り上げていることも大きい。
初めに断っておくと『空間感』は、正確には、前述したコミニティ・コミニュケーションデザイナーの為の本ではない。
取り扱っている建築物は美術館、特に名美術館のものであり、美術品を永眠させる美しき棺である。
美術品の安置所は、人間の墓同様にその魂を鎮め、一段と美しく豪華に永遠の命を与えた生と死が混淆した場所と謂える。
“空間=場を創ることから、空間に集まる人との繋がり”が注視されている現在、人間同士のコネクターである装置からはかけ離れているが、コミニティ・コミニケーションを創発する場が生だとすると、その生に相反する死の概念の深淵を覗き込むことが出来る筈である。
新しい創発性は、異なる概念を往来、越境する事でその形を浸食し、現代へと生を受ける。
また、建築家としてもミース・ファン・デル・ローエ、安藤忠雄、SANAA、ダニエル・リベンスキンド、レンゾ・ピアノなど錚々たる顔ぶれによる建造物を建築評論家が論評するのではなく、一美術家でありユーザーとして闘いを挑んで来た杉本博司だからこそ、多角的な視点で空間を捉える事が出来る。
乱雑な情報の中で、時代の先端を生きながら歴史を血肉化をするには、どのような事が必要なのか?奇を衒わずに、歴史と同化していく普遍性をこの書では紹介している。
建築家、美術家だけでなく俯瞰的な視点を持つクリエーター、コミニケーション・コミニティデザイナーやイベントオーガナイザー、キュレーターにも是非、味読して欲しい。
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空間感/杉本博司
単行本: 194ページ
出版社: マガジンハウス
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