Masakatsu Takagi / Interview with Masakatsu Takagi

photos from ドキュメンタリー映画「或る音楽」
Official:www.takagimasakatsu.com/
Official:www.epiphanyworks.net/trtr/
Interview by subaru matsukura
昨年10月に2年ぶりのコンサートを大盛況に終えた高木正勝。
今年6月17日発売の新作CD+ 神話集「Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)」の制作に至る話やそれが出来上がるまでのプロセスをロングインタビュー。
高木自身が前回のインタビューにおいて「ターニングポイント」と称していたコンサートについてや「ターニングポイント以降」に感じたもの、気付いたことについてお話を伺った。
ドキュメンタリーフィルム「或る音楽」+オリジナル作品「Homicevalo」「NIHITI」上映
2009.7.4 sat 〜7.24 fri 渋谷ユーロスペースにてレイトショウ、ほか全国順次公開予定。
Hitspaper:前のインタビューで今までやってきたやりかたを一回壊しにかかっているとおっしゃていました。
その後、タイレイタイリオのコンサートを拝見させて頂いて、ここまで解体しているとは、と驚きました。
今までの高木さんの楽曲を聴いてきたなかで、まったく新しいもという感じがしました。ここまで変わるのか、というくらい。
Masakatsu Takagi:あのコンサートが終わって半年近く音源化の作業をしていたのですが、長い時間をかけてmix作業などをしていると構造的に何か特殊なことをしたのではないんだな、というのがまずあって、あのときに感じてた特別感ってなんやったんやろうって。
そんなことを考えながら作業をしていくと「空気」というか、音からでている「気配」に特殊性があったな、というのがありました。
そこを頼りに作業をしていくと、他の人の曲が聴けなくなったんですよ。笑。自分のものも含め。笑
今までやってきた自分の音楽も今まで好きで聴いてきた音楽も「あれ?こんなん聴いてたんや」って。
なんていうか、「音楽」っていう皆が思っている「共通項」みたいなところ、そこを今まで良しとして聴いてきたわけだけど。
20年とか長くて50年という現代の音楽を、短いスパンで良しとされるものを聴いてきたんだな、って思って。なんか、聴けなくなったんですよ。
Hitspaper:先ほど、おっしゃっていた「気配」とか、視覚していないのに映像が見えているような。
序盤は水に身を任せているような感覚、お腹の中のころのイメージにも感じに近いように思いました。
自分が生まれ何十年という歳月がフラッシュバックしていって、0のポイントに戻るんですけど、その大前提にある引き継がれてきた命のようなものがつながっている感覚がありました。
T:今回、とても正直にやったんですよ。「正直」と言っても、頭や心じゃなくて、細胞や流れる血に対して正直に従った。
自分の血を手繰り寄せると、木の根のように色んなものに繋がっているのが分かるんですよ。
母や父をはじめ、先祖、もっと昔に海を越えて渡ってきた人たちの想いに繋がっていく。
そういうものに触れながら、「先祖が僕の後ろから聴いていて恥じないものになっているのか?」
っていうところだけを頼りに作ると、今回みたいなのになってしまって。
でも、仕上がった音は、、はたして他人にとっても有用なものなのか。
何か意味のあることなのか、まったくわからなくなってしまって。大博打やな、って。笑
大当たりか、大はずれか。笑
Hitspaper:いや、大丈夫でしょう。笑
T:大切にしたのは「日本人に聴いてもらいたい」という部分で、今までは日本という枠組みにとらわれない活動だったんですけど、
今回に限っては「日本人」に対して問いかけたくて、
日本の音楽が変わればいいな、とか、何か日本が変わればいいな、そういう想いがありました。
近代社会が生み出した新しい音楽も、それはそれで、もちろん素晴らしいですが、でも、それはもういいかなって。
それよりも、圧倒的に長く続いてきた昔の音楽をきちんと知りたいし、自分もやれるなら昔の人と同じ感覚で音楽を紡ぎたかった。
そして、もう一つ大切にしたのは、最初に話しましたが、「気配」。
音じゃなくて「気配」。
自分が一番「音楽」と思っている部分は、音そのものじゃなくて、音から立ち現れる「気配」なんです。
演奏する瞬間、音が生まれる瞬間に起こる、自分と土地や大気との「共鳴」と言ってもいい。
今回、そういうものにきちんと向き合えたと思います。
今までは、音そのものやメロディー、曲の構成なんかに、もっと気持ちが行っていた気がする。
今や、そういうのは幾らでもデザイン出来るし、お手本も沢山ある。その面白みは伝わりやすいし、分かりやすい。
でも今回は、そこから距離を置いて、自分にしか分からない「気配」がきちんと立ち上がるように、それだけを意識して音を仕上げました。
はっきり言って、錯覚というか思い込みだと思いますよ。「気配」ですから。
それに「気配」はコントロール出来ませんから。そのものは触れないし、デザイン出来ない。
だから、伝わらない不安もありますが、正直に自分が思う音楽を描こうとすると、「気配」を大切にするしかなかった。
人間、正直にものを作ると、核心の部分、芯の部分そのものは描けないんですね。周りしか描けない。
芯の部分って言うのは、どうしても、きちんと捉えられず、ぼんやりとしか掴み取ることができない、描けない。
でも嘘つくと芯が描けてしまう。笑
だから今回も嘘をつけば芯を描けたはずなんだけど。
たとえば仏さんを彫るときに正直に彫ると仏さんの顔なんて描けないと思うんです。
でも嘘をついてどこかで見たはずの仏さんの顔を想像しながら描くと描けてしまうんですよね。
なんとなくこうだろう、って典型をなぞることができてしまう。
でも本当に正直にやってしまうと描けないんですよ。
とても一つの顔で「これだ!」なんて思えない。正直にやると、数えきれないバリエーションを持った顔を描かないといけなくなる。
だから、核心の部分は描けないし、描かない。
それよりも、周りにあるものを誠心誠意きちんと描く。核心の部分は周りから勝手に立ち上がってくるのでいいと思う。
文章の行間を読むっていうのと一緒。
そうやって、なんとか芯に近づければ、それでいいと思う。

photos from ドキュメンタリー映画「或る音楽」
Hitspaper:前のインタビューでは、古代の音への興味ということについてお伺いしましたが、
今作は確かに整えられた製品としての仕上がりとは全く異なるベクトルで、生命そのものの野蛮さやそれ故の美しさ、そういったものをいっさい削らずに作り上げられている印象を受けました。
T:最近の音楽特有の一音一音きれいに聴かせるようなミックスは、もう止めようと。
音をきれいに大きく聴かせる為に、芯の部分以外は削り取って捨ててしまう訳ですが、本当に捨てて良かったのかと。
削ってしまった音は、確かに製品として聴いたときには不要な音だったり、邪魔な音だったのかもしれませんが、音が製品になる前の視点で見れば、それもまた一つの美しさだし、必要な音だと思い直した。
だから、今回は出来るだけ削らずに、むしろ無駄な音をそのまま活かしてCDに詰め込みました。
お陰で、音そのものは聴き取りにくい仕上がりになっていますし、音量も他のCDと比べると小さいです。
でも、普段よりボリュームを上げて聴いてもらえれば、言っている意味が分かってもらえると思います。
不安はいっぱいですがこれが遺作になっても自分のやりたいことをやったのでそれはそれでいいかなと。
Hitspaper:今回どのような地点を目指したプロジェクトだったのでしょうか?
T:とにかく日本の音楽を奏でたかった。
日本の音楽と言うと、お琴や三味線、雅楽とか、「伝統音楽」を思い浮べますが、それすらも日本音楽のほんの一部でしかない。
もっと普通の人が特別な楽器を用いずに奏でた、住んでいる土地から沸き上がってくるような、そこに住んでいた人の血や想いから出てくる音と繋がりたかった。
ブラックミュージックをやる人が、俺の原点はアフリカだ、と言い切れる強さみたいな。
それを日本で見るといったいどこになるのだろうと。
探っていくと島国では終わらなくなるんですよ。
いろいろな所から流れ込んでくる。でもそんなこと言ってしまうと地球全体を覆ってしまうので、笑。
なんとなく自分がルーツと思える領域まで狭めたときに、でっかい日本地図が出来上がるんですよ。
ポリネシアやシルクロード、インドだったり、海を越えた地域を含めて日本と呼んでもいい気がしてくる。
昔の日本にあって今はなくしてしまったものが、そういう地域にきちんと残っていますし、それらを手繰り寄せて自分が思う日本の音楽を紡ぎ出そうとしました。
Hitspaper:たしかに聴いていると日本の民族楽器ではないのに何故か懐かしさを感じますよね。
T:例えば沖縄民謡をCDで聴くと、確かに沖縄の雰囲気はあるんだけれどもCDのそれは既に作られた感じもあって。
でも、現地で軒先で三線弾いているおじいちゃんの音とか聴いていると揺らぎがあって、海やその日の風とかに波長を合わせているようで。歌ったり音を奏でた瞬間に空気が回るというかシンクロしているんですよね。
うぁ、いいなぁ。上手い下手じゃないな、っていう世界にもっていかれる。
その感覚、、それに近い合わせ方がわかってきたというか、、、。
ピアノで「ド」を押すとやはり「ド」しかでないんですよ。でも、楽器だけ見ているとそうなってしまうんですけど感覚をもう少しだけ広げて、共振とか共鳴しているようなところを意識してみる。例えば、家でピアノを弾いているとき、壁が音で振動している様子とか、鳴いている鳥とか、歩いているおばちゃんとか、そんな範囲をひっくるめた状態で弾いてみると、本当にいろんな音が出せるんですよ。ピアノを弾いているというより、部屋を弾いている感覚、町全体、土地そのものを演奏している気分になってくる。するとね、鳥とか寄って来るんですよ。笑。たまたまかもしれないけど。
この感覚が広がっていく感じを例えばモンゴルの方まで延ばすんですよ。血をたぐっていって。すると自分で「これ」っていう音が勝手に分かるし、曲も勝手に出て来る。気付いたらモンゴルのおっちゃんが後ろに立って唄を教えてくれたり。笑

photos from ドキュメンタリー映画「或る音楽」
Hitspaper:例えば森の中で聞き耳を立てると草が揺れる音や何か動物の気配なんかを感じるのですが、なぜかそれが気持ち良いし、音楽に感じる時ってありますよね。
今回のアルバムではそれに似た感覚がありました。
T:多分それは今までずっと気にしていたし、無意識にやってきたんだと思います。そういう感覚になれた時に曲が出てきますし。
でもね、今、ここ10年で作り貯めた楽曲を聴いたら気に入るものが凄い少ない。笑
今回で、音楽の"型"が気にならなくなってきて、もっと"循環するもの"、"持ちつ持たれつ"みたいな感覚の方にきちんと自分が向かってる。
時間があったら過去の曲を作り直したい。笑
たまたま誰かが口ずさんでいる音を聴いたり、音楽然としていない時にふと出てくる音が本当にいいんですよ。今回のアルバムは、それと同じ聴こえ方がするな、と自分では思っていて。
youtubeとか見てたら莫大な量の映像があるじゃないですか。例えば、子守唄が一番探しやすいんだけど、自分がいいな、と思うものと、コレは違うなって思うものがあって。
なにか聴かせようとしているものは違っていて、本当にお母さんと赤ちゃんとその周りの空気の音なんかが回っているものがある。もはや「赤ちゃんに唄を聴かせよう」とする意識がまったくなくて、ただ音が溢れてるような。そういうのに一番惹かれます。
映画とか見ていてもサウンドトラックより、役者が役に入り込んでしまっていて演技ということを忘れて無意識で歌ってしまってるシーンとかあるんですよ。
たまたまピアノを弾いているシーンとか。ギリギリのところのシーンにサウンドトラックと全く違う良さがあって、そこばっかり狙って録音して普段聴いています。笑
Hitspaper:笑。無意識の音というか、例えば家へ帰る途中。草とか木がカサカサと風に揺れる音が聴こえて、どこかの家からは誰かがピアノを練習している音がうっすら聴こえる。
そんな状況ってあるじゃないですか。そのときの"音"が一番気持ちよいですよね。誰も「聴かせよう」というスタンスでは決してない状態。偶然出会ってしまた音の重なりというか。
T:そうですよね。あと、朝の5時くらい。陽が昇る直前。真っ青で鳥が動き出す、そんな瞬間。すごくいいんですよね。果てしなく透明な音がする。
そんなときに今まで聴いてきた音楽って言うものが、いかに狭い範囲のものだったってことに痛感します。逆にこれからに大きな可能性も感じる。
Hitspaper:CDだとどうしても【聴く側】と【聴かれる側】に分かれてしまうじゃないですか、でも、今、良いと思えている音っていのは、【聴く側】も音楽の一部にいる状態。
朝の5時だったり、家への帰り道だったり、その空間に【聴く側】も存在している。私はそれが音楽と人の関係性のより良い状態だと思っています。
T:そういう意味では今回のアルバムは、自分にとっては本当に挑戦。実験的に聞こえる人もいるかも知れませんが、今の音楽に対するひとつの挑戦。文庫本(神話集)がアルバムについているのですが、人間が本来もっている音楽感を思い出させてくれる"装置"だと思っています。読みながら聴くと面白いですよ。不思議な体験ができます。欲を言えば、それで本当に何か変われば嬉しいな。

photos from ドキュメンタリー映画「或る音楽」
Hitspaper:先ほどの沖縄民謡のお話でもありましたが、現存する民謡って聴こうと思えば聴けるんですが、もしかしたら本来の音じゃないかもしれない。
T:おそらく"近代的なもの、西洋的なもの"が一気に入ってきた時代に100通りあったものを1個にしぼったんですよね。
本当は、民謡一つとっても一つの決まった型があった訳じゃなくて、メロディーが違ったり、言葉が違ったり、いろんなバリエーションがあったんですよ。どれがオリジナルかわからないくらい。
なんか調べてると明治頃に伝統音楽保存協会的なものが出来たらしく、1個にしぼってるみたいなんですよ。それを保存してしまった。正解例、型を作ってしまった。
僕が聴きたい日本の音楽は、一つの型になってしまったものじゃなくて、色んなバリエーションが混在していた総体の方なんです。
そっちを子どもの頃から親しめていたら、日本の音楽なんて考えなくても、自然に誰でも自分の住む土地と空のうたが唄えてたと思うんですね。
だから、その保存された1個の音楽を、もう一度粉々にして100個に戻したいぞ、って気持ちがあって。
Hitspaper:そういう意味で現代音楽が今日まで走り続けてきた中で高木さんが気付かれたことは、とても重要なことだったりしますよね。
T:半径10mくらいの家から見える風景にどんな風にピアノの音が共鳴するか、馴染むのかって感じながら演奏してたんですが、
上手くいけば近所に住む幼い子供が家の周りを自転車でクルクル回ってくれるんですよ。笑
それが判断基準。根源的なところで共振できたのかもしれない。よし、この音か、って。
Hitspaper:それは自然と音を一体化させるようなことですよね。
T:そうです。というか、音楽が生まれたのは、そこだと思っています。
コンサートの準備をしていた時、1日だけ、ばっちり色んなものが出会った瞬間があったんですよ。
自分の声とピアノと自分が住んでいる、その周辺がひとつのうねりのようにぐわんと動く時がありました。
1時間くらい自然と溢れてくる声で歌って、、、そういう時は涙が勝手に出てくるんですね。そんな状態になって、ずっとやりたかったことが分かった気がした。
今回のアルバムが出来上がって全ての作業を終えた夜にどうしても寝れなくって、ぼんやり考えていたことが「あぁ...色んなものから沢山借りてたな」って思ったんです。
そして、それを「お返し」しないとな、って。海や根源的に琴線が触れた遠い国の土地なんかにお返しをしなきゃなって。海に向かって大音量で音流したり。笑
そういうもんだろうな。って。
Hitspaper:素直に「お返し」をしたい、と思えるってこと自体が凄いですよね。そこが一番美しいですよね。
ピュアな音楽との関係のようにも感じます。
T:本当に「美しい」って言葉は使われ過ぎていてごちゃごちゃした意味でしかなくなっているけど。
「形式の美」とか「彩色の美」とか「構造の美」とかじゃなくて、自然にお返しできる行為そのものが素直にできたことに「美しい」と思いたい。
「美しい」と思うからやるのではなくて、そうせざるを得ないような循環こそが「美しい」って思います。

photos from ドキュメンタリー映画「或る音楽」
Hitspaper:次はどのような展開を予定しているのですか?
T:次は僕が思う「ピアノのアルバム」が作りたいんですよ。それは最初からずーっとやりたかったんですけど。
さっきいってた家で弾いてる感覚のものを録りたいんですよ。それが果たして通用するのかしないのか、を試してみたい。
今回のもそうですが、一番最初に出したアルバムの続きをやっと出せる感じ。一番最初の続きをやりたい。だから、今回のはセカンドアルバム。笑
Hitspaper:本作も「ピアノのアルバム」もとても楽しみです。
本日は貴重なお時間ありがとうございました。
T:こちらこそ、ありがとうございました。
<information>
Takagi Masakatsu "Tai Rei Tei Rio"

高木正勝「タイ・レイ・タイ・リオ」
Takagi Masakatsu "Tai Rei Tei Rio"
発売日:2009 年 6 月 17 日(水)
収録曲:16 曲 約 56 分
1: Homicevalo
2: Utafu
3: Ana Tenga
4: Lava
5: Ceremony
6: Laji
7: Tidal
8: Philharmony
9: Mukafu
10: Watch the World
11: WAVE
12: Elegance of Wild Nature
13: Tai Rei Tei Rio
14: NIHITI
15: Omo Haha
16: Naraha
Audio CD+収録楽曲にまつわる神話集「タイ・レイ・タイ・リオ紬記」(約 100p)
神話集監修・編集:石倉敏明(多摩美術大学 芸術人類学研究所)
アート・ディレクション , デザイン:近藤一弥
発売元:エピファニーワークス
販売元:ブルース・インターアクションズ
品番:EPCT-1 POS コード:456224816-001-5
価格:3,000 円(本体 2,857 円)
ドキュメンタリーフィルム「或る音楽」
2009.7.4 sat 〜7.24 fri 渋谷ユーロスペースにてレイトショウ、ほか全国順次公開予定。

世界各地を旅しながら撮影した素材を元に、コンピュータを絵筆として映像作品を描き、ピアノを中心に音楽を作るアーティスト・高木正勝。10 年の創作活動を通じて、常に新しい地平を切り拓いてきた彼が 2008 年秋に「Tai Rei Tei Rio(タイ・レイ・タイ・リオ)」というプロジェクトに挑みました。
音楽とは?芸術とは?音楽が生まれる瞬間とは?なぜヒトは音楽を奏でるのか?
その根源的で普遍的な問いに、真摯に向き合った高木と共演ミュージシャンたち。
コンサートを含めそのプロジェクトを丁寧に見つめたドキュメンタリー映画「或る音楽」が完成しました。
歌う、祈る、たゆたう、捧げる、踊る、跳ねる、祝う_洞窟の中で、荒れ狂う波の前で、風吹き渡る草原で、ヒトはこうして音楽を通じて世界と対話してきたのだろう。
自分たちを投げ出して演奏するミュージシャンたちの姿から伝わってきます。
10人の演奏家が繰り広げる迫力ある演奏シーン、打合せやリハーサル、自然を含めた高木の制作環境、インタビューなどが織り込こまれながら徐々に立ち現れる「タイ・レイ・タイ・リオ」。
誰も明確な答えを出すことはできない問いの、それでもその「答え」に触れるような一瞬がこの映画の中に記録されています。
また、高木正勝の最近作2作品も同時上映されるプログラムとなります。
2009 年/カラー/ HDCAM SR 5.1ch / 72 分
出演:高木正勝 (piano, vocal)|田口晴香 (vocal)|ヤドランカ (vocal, saz)|松平敬 (vocal)|熊澤洋子 (violin) 金子鉄心 (uilleann pipes, sax)|ヤマカミヒトミ (?ute, sax)|OLAibi (percussion)|佐藤直子 (percussion) 沢田穣治 (contrabass)
音楽&舞台映像:高木正勝
監督:友久陽志
プロデューサー:林口砂里
製作・配給:エピファニーワークス
上映予定
2009年7月4日(土)〜7月24日(金) 連日21:00〜
渋谷ユーロスペースにてレイトショー http://www.eurospace.co.jp/
*7/4(土)友久監督、高木正勝舞台挨拶 *7/15(水)中沢新一×高木正勝対談、いずれの上映前。
2009年7月18日(土)〜24日(金) 連日20:35〜
名古屋シネマテークにてレイトショー http://cineaste.jp/
他、全国順次公開
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「Homicevalo」(ホミチェヴァロ) 2008 年 12 分
出演 : ベイヤード ( 堀井厩舎 ), 大淵靖子 ( 多摩美術大学芸術人類学研究所 )
映像・音:高木正勝
企画:多摩美術大学芸術人類学研究所
「NIHITI」(ニヒチ) 2008 年
映像・音:高木正勝
企画:独立行政法人理化学研究所
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