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Masakatsu Takagi – Interview Series Phase03

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Official Site: www.takagimasakatsu.com/
Interview by Subaru Matsukura (ovaqe/)
Photo by Hikaru Matsumoto


今回で3度目のインタビューとなる高木正勝氏。
山本現代での「Ymene」から既に展示が始まっている東京都現代美術館のトランスフォーメーション展。さらに現在、目下ツアー中のピアノソロコンサート「Ymene」に至までの内面の変化、不安、そして目指す地点への話を伺った。


- 前回、取材させていただいた際にピアノソロがやりたいという話をされていました。
有言実行というかピアノソロの全国ツアーがもう始まりますね。

Masakatsu Takagi: 早いんですよ。僕はまだ時間が必要で、やるんやったら、来年か再来年がいいなって、今でも思ってるんです。まだ一曲もできてない。笑



- これからなんですね。山本現代で出されてた作品もピアノソロの名前も《Ymene》。ですね。

Masakatsu Takagi: 1年前くらいから《Ymene》という名前だけ気になっていて。何を考えても《Ymene》しか言葉が出てこなかった。展覧会もコンサートもどちらも。



- なぜその言葉に行き着いたんですか?

Masakatsu Takagi: 《Homicevalo》の前までは、どちらかというと適当だったんです。(笑)
2008年より前は、勉強しながら作っていた感覚があって。例えば、手元に見本があって、目指すべき方向性もなんとなく決まっている感覚。
(イメージの中に)棚があって、自分が素晴らしいと思っているものが並んでいたんですね。
例えば、「色が綺麗なもの」みたいなコーナーがあって、そこには自分が良しとする作品や自然などがあるんですね。その最上級の棚に自分のものも並べたいというゴールがあったんです。
並んだと思った時点で、作品も完成するし、安心して外に出せるし。
だから、勉強ですよね。世界が用意されていて、隙間も用意されていて、自分もそこにちゃんとはめ込むことが出来たら、合格。みたいな。
気分的には楽だったんですよ。作品が収まる場所があったので、気楽で。
《Homicevalo》あたりから参考にするものが、あんまり無くて、埋めるべき隙間もわからなくなって。
出来たけど、これどうしようって困りました。



- これまでは隙間に収まった感じがあったんですね。

Masakatsu Takagi: 人には見せたいと思うし、自分では大丈夫だから、人に見せるときにも、分からへんことないやろうという感じやったのが《Homicevalo》まで。《Tai Rei Tei Rio》あたりから、そういった概念が効かなくなってきました。



- その棚ではなくて、全く別の入れ物のようなニュアンスですか?

Masakatsu Takagi: 《Homicevalo》を作って《NIHITI》を作って、《Tai Rei Tei Rio》のコンサートに向かっていった。
今はそれなりに整理できてますけれど、この期間は、別のものに巻き込まれてる感じで。
《Tai Rei Tei Rio》のコンサートやったときは分かってなかったんですよ。
良いか悪いかもわからないけど、とにかく大切なことをやったんかなって。
コンサートが終わった直後はそんな感じでした。
そこから半年かけて、CDにしたり映画にしたりと作業をしたんです。いつもそんな作業なかったんです。
半年から一年、ゆっくり毎日毎日、整理でしたね。新しく作ってないんですよ。録音した動きようのないものを整理してたんです。
CDや映画になったり、言葉に置き換えたり、インタビューがあったり。
「一日、二日でやったこと」に対して、1年掛けてずーっと整理してました。
それだけ長い時間を掛けているうちに、まだまだいっぱい楽しみあるやんって思っていたところが、頭や感覚でわかってしまった。
最初の棚は8年とか10年とか時間をかけて満杯にしたのに、新しい棚は、あれ?もう終わった!みたいな。(笑)
埋めたかった、こっちの棚も埋まったし、新たに、振り向いたところにあった、これからやれるかもしれない棚も、一度で埋まってしまった。
もし、ここから新たに作り始めるとしても、《Tai Rei Tei Rio》のバージョン違いしか出来ないかもしれないと思ったときに、あれ?って。続きって感じではなかった。どうしようって。
棚がもう埋まってしまって。「まだ、つくる?つくれる?」みたいな。(笑)
もうなんか、あれ、後ろ向いたら、真っ暗。前方によく目を凝らしても、真っ暗。

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- この数年で作られた《Homicevalo》《Tai Rei Tei Rio》《NIHITI》は、完成された雰囲気が出てしまってるんですね。

Masakatsu Takagi: 無駄がないんですよ。どうしようって、ひと回りしたし、満足してしまったんで、
続けるのもありだし、まったく違う仕事するのもあり。
なんかまったく生き方を変えるのもありだなって思っていた時に、ピアノのアルバムは、もっと長い目で、死ぬまでに1枚欲しいなっていう。
そこだけは、もうずっとあるんですね。自分が思うピアノのアルバムというのがあるんですよ。
ちゃんと仕上げたいなという気持ちはあります。ゆっくりやりたいなって。きっともっと先でしょうけれど。
それはともかく、本当は展覧会も映像もコンサートも実は作りたい時期じゃないんですよ。
完成できないから、というのがまずあって、今から数年掛けて、ゆっくりやろうって思ってたのに、今回、展覧会が2つあって、このあと都現美であって、いざ作ってみたら、こんなん終わるわけないやんって内容になった。
今 までやったら、例えば《NIHITI》だって《Homicevalo》にしたってわりに、はじまりと終わりがあって、前の作品、例えばお花の絵を描くの だって画面が埋まったら終わりという枠があったんですよ。始まりと終わり。白いキャンバスに端があったんですよ。でも、今回、やりたい映像って、もっと もっと、これまでと違って。思いついた映像を連想ゲームのように足していく感覚?ワンシーン作った後に「こう鳥が蛇に食われるんよなぁ」ってある日思っ て、このシーンを忘れないように描いていたら、自分がパキスタンで撮ってきた子どもが飛び込む映像があって、「うん、イケるやん」って。(笑) 飛び込も うと思って、飛びこんだ時に色が変わっていって幽体離脱するみたいになるなぁって。本当の映像は、飛び込むだけやから2秒くらいで終わるんだけど、距離が のびていくにつれて、なんか色も出てきて……。
神話で、蛇がすべての色を独り占めして、世の中に色がなかったという話があって。鳥がその蛇をついつまんでいろんな色がひろがったっていう色のはじまりを語った神話があるんです。
あの話今やったら映像で作れるかもと思って、自分なりの絵本的な映像作りたいなと思っていたら、でも、待てよ。自分が見たいのは、そのついばんだ鳥が見た景色って、どんなんやろう、って。ひとり連想ゲームの繰り返しみたいな。
自 分がこの部屋に居続けているのに、隣の部屋に意識を飛ばそうと思えば、飛ばせるし。例えば昨日の晩ご飯何食べたっけって考えたときに、場所も移動するで しょう?ああいうのって映像にしたら、どうなるんやろう。そんな感じで、自分が経験した過去にもう一度自分が飛んでいったり、誰かが語った物語に飛んで いったり。もう連想ゲームそのもので。



- 今まで撮りためていた映像を再構成した感じですね。

Masakatsu Takagi: 以 前の作り方とは全然違うんですね。前は、例えば、(手元のカップを持って)これ白いコップだけど、『これに色を付けて別のものに見えるようにしてみよ う』っていうテーマを決めるんです。そして、そのテーマでどこまでイメージを広げていけるかチャレンジする。今まではそういう作品が多かったんですね。1 つのテーマに20個くらいシーンを完成させて、仕上げた順番で次々に見せる。箱庭みたいなものです。枠を用意して、その中で可能なことを試せるだけ試す。 作業自体はしんどいですけれど、安心できる世界なんですよ。基本的には一個のことだけ考えていればいいんですから。でも今やりたいことは違う。その枠の中 で考えていたことを1シーンでやってしまう。飛び込むっていうシーンがあったら今までだと、20シーンくらいかかって、飛び込むシーンばかりやって、毎日 そのテーマでどれだけ掘り下げていけるかを見せてたんです。
それをこの1シーンでやっていくと、、、連想ゲームみたいになっていって。前のシーン作ったけど次は分からない。作ったら戻れない、先に進まなくてはいけない。
飛び込んだら、どうするんやろう、どうするんやろう、どうするんやろう…って考えたら、
終わりもないし、始まりも明確にないし、「夢」に似てるなって思って。

もうひとつ、こういう作り方の変化とは別に、作品の発表の仕方として、出来上がったものを見せるのに違和感が出てきて。
例えば、《Tai Rei Tei Rio》はコンサートをして、それがCDと映画になって。
多分、CDも映画も、完成した作品、ということなんでしょうけど、やった自分としては、完成だと思ってない。
た またま残ったから、録音、記録したから残ったんですけど、やっている人からしたら、あの日にたまたまやった演奏なんだけど、CDになるとあれが曲になるん ですよね。終わりが無かったはずなのに、終わってしまうんですよ。それに違和感を感じはじめました。コンサート録音のCDを2枚続けて出したのも大きかっ たんですけど。
ああいうCDを出した後に、改めて曲作るとなると、前のようには作れなくなってしまったんです。
終わらへんうちの、たまたまの一瞬を曲と思うようになってしまった。
ピアノを一日中弾いていて、その一瞬、たまたま自分と世界が繋がったような一瞬だけが自分にとっては曲、音楽。
今までのちょっとずつブロックを構築していくような作曲や録音の仕方にも違和感を感じてきて。
人の作った曲もそういう作り方が大半なんだけど、聴けないなって。なんか、気持ち悪いというか。
たまたま録音していた3分が、曲に成ってしまう。そっちが全てになってしまった。

自分が思っている芸術、作品はもっと感覚的でその場その場の瞬間なものやのに、次々と新しいものを作らなあかん、発表せなあかんねんなって。ちょっとできへんかもって。
自分が望む瞬間のみを欲するようになったら、もうこれはじっくり腰を据えてやるしかないんです。
新しく作っていくというよりは、瞬間をきちんと捉えて、ちょっとずつ継ぎ足していく。そんなやり方に興味がいってます。
途中でつくりながら思ってたんやけど、漫画の単行本って、1巻順番にでてきて、4巻まで全然おもしろくなかったのに、5巻くらいから急に面白くなる。改めて1巻から読むとおもしろい.
なるほどね。たぶん、つくり手も10年、20年かけてやる時もありますよね。
例えばバカボンド。たまたま最初に張った伏線に縛られて、良くなったり、悪くなったりして、
そういう紡ぎ方があるのに、一個一個これで終わり完成ってやってたら、それができないんですよ。

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- 本来は「続いていくもの」が「パッケージ化」されることで分断される。それは作り手としても歯痒さがありますよね。

Masakatsu Takagi: だから自分の中で、そろそろあの作品の続きをやるかって思える終わっていないけど発表してしまってる作品があってもいいなって。
山本現代でやっていたのが、自分の中では第1話で、都現美でやるのは、第0話なんですよ。
それを更につなげて、続きがあるので、本当は全部作って見せたかったんですけれど、あのシーンどうやって作るんだろうと考えているうちに1年たってしまうから、今回は出来たところまでって。いつか終わればいいやって。そう思えると相当に気楽になりますね。



- 作品の受け手としては言われてはじめてそういう歯痒さがあることに気がつきます。
 
Masakatsu Takagi: 過去作を見ると、改めて思うんです。本当はこの続きを今やりたいのに、もう一回やると「またやるんだ」って思われるふしはあるんですよ。自分でも思ってしまうし。別なんやで、って言いたいけどなんかいやらしい。
作っているときは、新しい技術とか、やり方とかを発見して学んで、この方法を使って次のを作ったら面白いやろうなってなるけど、いざパッケージになったらあの続きはやったらあかんものっていうか「子ども」みたいになるんですよ。
あの子はあの子でやっていくから、そこに代わりはいらん、と。失礼な感じもするし。(笑)



- 京都の円通寺をご存知ですか?「借景」という概念が生まれたと言われる場所で、お寺のお座敷のどこ座っても、庭が絵になり、すごく綺麗なんです。
こ れは四季の変化や自分(受け手)の感性の変動など含めて、自然(作り手)と自分(受け手)の関係性において超ロングスパンでも終わりがない「美しさ」のよ うに思うんです。昔であれば、それが「美しさ」や「良さ」だったものが現代ではパッケージ化されなければ受け付けられない。

Masakatsu Takagi: 滝に行ったんですけど、僕は「すげーこんな凄い滝がこんな町にあったんや!」って感動があったんです。けど次来たお客さんは「ふーん」みたいな。ぴちゃぴちゃと手で触って。
「うわー、今すごい」って、僕は思ってるのに。笑 
そういう落差があるじゃないですか、良さに決まりはないのが普通やのに、絶対的な良さを追求するのは変やなって思ってきて。なんにしても、1個くらい気楽なもののあっていいかなって。



- ずっと連作というか納得するまで作り続けるシリーズということですか?

Masakatsu Takagi: 言ってしまったら終わったりするんですよ。これは僕のライフワークというけど、だいたい続かない。笑



- どうなるか分からないけど続くかもしれない。

Masakatsu Takagi: 例 えば、音楽家に代表曲というのがあって、その代表曲の感じがもう非常にいい。やのにその音楽家はその代表曲っぽい曲はもう作らないんです。本人がバリエー ション違いをなかなか受け入れられない。似た系統の作品が沢山あってもよかったのに。端からみたら似たものを作って欲しかったりするのに、本人はアレはア レでと思っていたり。他にもっといい別の曲があるからいいやって。
自分の代表曲だとしたら、例えば《girls》。自分が弾いていても楽しくて、毎回違う楽しみ方があって。自分でも《girls》みたいな曲が2、3曲あったらいいのにって思うけど、いざ作ろうと思ったらなかなか難しい。
《girls》 のバージョン違いならできるんですけど、新しい《girls》となるとすごく難しいんですよね。例えば《girls》のバージョン違いを作って、それを新 曲として発表してもいいと思っていると気楽なんですけどね。音楽では比較的作りやすいんですが、こんな作品を映像で一つ持ってたら精神的にいいなって思う んです。
10秒くらいの映像だけど、シーンとしては作ってみたいなっていうのがあるんですよ。
作品として仕上げなあかんと思っていると10秒だしなって、作っても仕方ないよなって。
絵だったらできるじゃないですか。映像だったらあかんと思ってしまうんですよね。
そういうものたちを《Ymene》に放り込めるから、やっぱりイメージの避難場所としても《Ymene》を終わらない映像として持っていたいな、と思います。



- 《girls》のような存在として、映像としては《Ymene》が今後、続くかもしれない。
昔の民謡はバリエーションがありますよね。地方によって違ったり。


Masakatsu Takagi: そうそう。歌詞が違ったり、韻が違ったり。



- そういうことを今は何故か、やってはいけない空気ありますよね。
パッケージ化させないというか(笑)

Masakatsu Takagi: 周りがパッケージをするのはいいと思うんですよ。作ってるほうがパッケージすると表現の可能性が狭くなっていくから、そこは出来るだけ外したいなと。



- 長い年月を経て完成したものって、当初思っていたものより別の生き物のように作品が勝手に生きていくケースってあるじゃないですか。

Masakatsu Takagi: 漫画は分かりやすいですよね。『風の谷のナウシカ』とかえらいことになってますよね。

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- 井上雄彦さんもスラムダンクの途中からキャラクターが勝手に動きだして、キャラクターに相談するって言ってましたよね。ここだったら自分どうする?って。それがバカボンドでも、原作と違っていてすごいことになってましたよね。

Masakatsu Takagi: うん。あれ見ててうらやましいなって。(笑)
本当は長い目で見て作りたい。
10年作り続けて、一回りしたっていうのもあって、今まで自分がやらなかったことをやりたい。
今までだったら、この色は選ばない、こんなにテカった色は嫌だとか、そういうのも無理にでも使いたい。
今回、自分の審美眼を全部外すつくり方をしている。もう少し気を使った作り方を今まではしてたんですよ。人が見るんだったらこっちにしようという結構優しい作品。(笑)
でも今回はあえて自分が好きじゃない選択をして、見る人のことは考えずに作った。
だから自分も観客になってる。
人に好かれるかは分からない。でも、よく考えたら見たことないから存在しても許されるかなって。



- 実験的ですね。

Masakatsu Takagi: 伏線みたいに、その後、今回の作品はなかったことになるか、面白くなるかどっちかかな。面白いですね。気分的に30で死ぬと思っていたから、(笑)
30までの自分には明確な目標があったんですけど、30から先は全く考えてなかったからどうしようと思っていたんですよ。怖かったんですよ。
40、50、60無理かも。長いわとなって。今もその気持ちは抜けていないんです。
「ど うしよっかな」という気持ちが今も抜けていなくて、全然分かんないんですよ。特に目標もないし、自分がこうしたいという暮らしはあるけど、それするには今 までやってきたことを続ける必要もなかったりして。でも、やめることまで考えたら、やり残したこともやっぱり出てくるもので。
要するに遺作ですね。遺作と思えばやれることがあると思いますよね。
毎回、毎回、自分が最高だと思える作品を出すという目標があって、僕もそうやってきたし、みんなそうやってるけど、遺作となると違うなって。
遺作となると人がどう作品を思うかという目線も消えて、自分がどう思うかも消えていく。
「残してやりたいな」っていう変な気持ちになるんですよ。

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- 自分の感性を切り離してしまって、自分そのままの状態。裸みたいな。

Masakatsu Takagi: すごい恥ずかしい感じ。(笑) 人に見せることも前提にしていないし、自分が楽しむわけでもないし。「出てきてよかったね」みたいな。消されていくようなイメージだから出すときの感じが慈しみがる。最後やからね。でも、「遺作」って昔は嫌だったんですよ。
自 分が好きな作家とか作品とかですごくいい作品を作っていたのに、「遺作」になって悪くなるというか、ピカソとかでもみんなだいたい子供の感覚に戻る、だい たい子供っぽくなる。若冲みたいにすごい絵描いていた人も柔らかい絵を描く。なんでこんなん書いたんだろう、というか気の抜けた感じ。でも、いまは、それ がよく分かる。気を張ってやっていたのより、全然良いですよね。今回、見せるの、もう非常に嫌なんですよ、締まりがない。何がやりたいか自分自身分かって ないし。見せていいもんなのかも分からんし、自分がいいか悪いかも分からん。裏にある唯一の支えは、冗談に近くて、高木があんなん作りやがってみたいな、 微笑ましい見方をした時に唯一楽しめる。



- 今までと今回とは切り離して考えてますね。

Masakatsu Takagi: 違 いますね。今回の山本現代では2008年に作った《NIHITI》とその後に作った《Ymene》を展示してますけれど、こうやって同時に2つ並べると、 内容は全く一緒なんですよね。どっちも同じ内容を語ってる。でも見た目や表現の仕方が全く違う。10年やってきて、力んで出した最後の花火みたいなのが 《NIHITI》で、《Ymene》はそれと比べるとやっぱり気が抜けすぎている感じしますね。
《NIHITI》は、すごく落ち着くんですよ。
《NIHITI》は、自分の知ってる価値観で納得できる。やっぱり、この展開でその色、この動きじゃないとね、って。(笑)
赤はこの位置で、青はここからでという自分の美意識の固まりなんやけど、《Ymene》みるといやーって恥ずかしくなる。



- ちょっとわがままにやってもいいんですかね。30歳くらいを目標で見てたのに、通過しちゃったらわりと先がない。

Masakatsu Takagi: ど うしたらいいんでしょうね。人の生き様とか見ていても、30歳くらいから作品のクオリティーがあがっていって焦点が合い出して、ここから勝負って感じがす る。20代のころって自分が作ってきたものが土台になってきて、30代になったらその土台を使って遊べるってイメージでした。だから、あれもこれもやっ て。30になったら遊べる土台があってそこで遊ぼうと。そしたら、30歳になったら土台だと思っていたものが「使えねえっ」てなって。(笑)
<一同笑い>
使える種はあるけど「土台としては使えへんな」って。もちろんゴミではない。また別ものなんですけど、なんか子供みたい。こいつはこいつ。20代は20代。30代は別ものなんやろうな。
自分でホームページ整理してても思いますけど、2001年、2002年とか1年づつ区切られて、ある10年が30歳前後からその区切りがなくなる。1年、2年っていう区切りじゃなくて、
老年のところまでで長いな。うっかりすると1年すぐたってしまう。みんながよく言っていたのはこういうことかと。(笑)
いろいろ出してみて分かったのは、やりたいことをやるのには、土台じゃないけど、吐き捨てなあかんものがあるんだと思って。今やっていることは新たな吐き捨て作業なんやろうな。ここまでやっていいのか、というのをもう一回増やさなあかんなって。しばらくそれでいいかな。
30代って人がどう思うかとか、受け入れられるか気にせなあかん大事な時期かもしれないじゃないですか
20代のころは好き放題だったし、何かあっても人生の岐路を変えたりとか、30歳になるともう取り返しつかない部分もあるなって思うから。



- そこにあえて?

Masakatsu Takagi: あ えて。端から見てて《Tai Rei Tei Rio》は、良いの作れたと思うし、その続きを30歳から見せたらいいやんというのに、なかったことにしようって。何してんねやろうって自分でも思いま す。リセットとは違って、あれはあれでって置いてしまった。さあ、どうしようっていう。



- 高木さんの部屋を出たって感じですね。

Masakatsu Takagi: 去年一年かけて、そこまでは映像作家の高木正勝ですっていうところでやっていた。
どこに行くにしても、食事いっても旅行いっても、作家やからというのがあって見たり触ったりしてたんです。それが一年かけてなくなってしまって、というか無くしたいから無くしたんだけど。ただの高木みたいな。(笑)

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- ただの一人の人?

Masakatsu Takagi: 一 人の人みたいになったときに弱いところがあったり、出来てなかったとこがあったり、そういうのって繕っていくのって大変なんですよ。作家と思って自分でも 許していたところもちゃんとしないと思うと、一日あっという間に終わるんですよね。繕いをしていくだけでも、面倒くさいと思う。
前の《Tai Rei Tei Rio》のときは10年積み重ねた上でやってますという思いもあったし、「シ」の音を選んだのではなく「ド」の音を選びました、みたいに、研ぎすまされたものがあるんですと思ってやってたんです。
今はなくなってしまって、どうでもいいやんみたいな。今日はその音でいいやんって。
今回の映像も、もちろん僕が作ったけど素人が作ったと思っている。



- なんか散歩に出た感じですか?ふらりと自分の思うままの方向に。

Masakatsu Takagi: 台風の渦巻きの中にいたのが、ポンっと突き放された感じ。ふと、横を見るとなんか見知った渦があるけど、、、みたいな。うーん、どうしよ。渦巻きの中にぽんと戻るのもできるけど。



- ピアノソロをもう少し長いスパンでやりたかったとおっしゃっていましたが、
その日に即興的に出るかもしれないし、その積み重ねの歳月に興味があるということですよね。映像でもそういう感覚ですかね?


Masakatsu Takagi: が んばったからって出るもんじゃない。例えば《girls》だって、とろんと弾いたエレピの音をたまたま早送りして聞いたら面白いやんって。それをピアノで 弾いてみたら曲になった。最初はいいとも悪いともなんも思っていなかったのに。今や、深いところであの曲に生かされてるのがよく分かる。



- アルゼンチンのピアニストのモノ・フォンタナのこと思い出しました。あの人は元メタルバンドのドラマーで、ライブハウスの会場でピアノの譜面を拾って、 10年くらい趣味でピアノの練習を独学でずっとやっていました。練習方法が面白くて、夜、無音のテレビをつけて、電気を消して、無音で流れる映像に合う音 を即興で奏でるということを訓練していた。何のルールもないし、映像と自分の対話で変わっていける。高木さんがやりたいことに近いかな、と思います。

Masakatsu Takagi: 近いですね。ピアノの上に毛布とかぶら下げて、毛布が風に揺られるのに合わせながら即興で弾きたい。



- 森の中で鍵盤持っていって、天気がどうなるかも分からないし、虫が鳴くかも、静まり返っているのかも分からない状況で演奏したらどうなるんでしょうね。
CDになってしまうことよりも、どうなってしまうか分からないのその状況が本来の音楽かなって。


Masakatsu Takagi: 実際やったところで演奏しないのもありなんですよね。普段慣れているピアノとかも森にもっていってさあどうぞ、あれ全然違うかな、弾かない方がいいやというのもありますし。



- 坂本さんのツアーソロにも行っていたんですけど、譜面はありますけどその瞬間の感覚で弾く。用意している譜面が大量にあるんですが、「何か聞きたいのあ る?」って途中で観客に何を聴きたいかを問いかける瞬間がありました。私が行ったときは、お客さんが「東風」をお願いしたんですよ。

Masakatsu Takagi: それ聞きました。いいアレンジだったんですよね。途中でやめてもういいですよねって言ったんですよね。



- これから高木さんもソロ・ツアーが始まりますね。

Masakatsu Takagi: これから作るんですけど。(笑)みんなそれぞれの楽器であると思うんですが、ピアノは基本的に打楽器なんですよね。最初にアタックが「トン」とあって、あとは消えていくんです。
例えば、表現としては「ウワーン」とやりたくてもできない。オルガンとか弾くとなんて自由なんだって思うけど、「ウー」と呼吸するみたいにできるんです。
そ ういうのがピアノでは出来なかったりして、音を続けたかったら、消えてきたらもう一度弾かないといけない。「やりたいこと」と「ピアノで出来ること」にチ グハグが出てきて、ピアノだったらこれができるなというのを探っていくと、必ずしも自分がやりたい曲じゃなかったり、聴きたい曲じゃなかったり。
音として聴きたいものと、楽器で表現で出来ることが違っていて。
録音している時は楽しくて弾いてるんです。演奏としてはいい訳です。非常に。でも、それを録音して聴き直すと、これは無理だなってなったりします。
他の人の録音ものを聞いても同じことを思うんです。ピアノに関しては、どうしてもうるさくなる。
本当は鼻歌みたいにしたい。ピアノやけど、鼻歌うたってるような感じで鳴ればいいのに。



- 演奏すべき曲はライブの時に変わるかもしれない?演奏するときに「やっぱ違うな」ってなることもありますよね。

Masakatsu Takagi: そ うそう。何人かで演奏してる時には、「違うな」って、どうしようと思ったとき、みんなもどうしようってなるんですよ。みんな「違う」って思いながら何とか しようって思うものなんです。そういう修羅場では、誰か一人予想もしなかった別のことしてはみ出してくれる。そうすると、みんなもそっちに流れて飲み込ま れていくという、そういう楽しさがある。でもね、一人で演奏してるときに「あかんわ」となると、すごいつらいんですよ。
どうしようもない。自分でやるしかない。

Masakatsu Takagi: 曲 を途中でやめる選択肢を舞台の上で持ってしまうと、次の曲に行きます、これもあかん止めます、といったん止めます、、、今日は無理でした、というのは「音 楽の形」としては本来ありなんだけど、そこまで行くと、お金払ったけど……と怒り出すだろうし、面白いなって思うけど、やったらあかん気がする。



- ソロコンサート後にまたお話が聴きたいです。

Masakatsu Takagi: きっ と、やりたいことはやったから。今までやったら、《Tai Rei Tei Rio》の時そうやったけど、これが代表作やと意気込んで、10年を総括すると思ってやったけど、今回は何回も言ったけど、「遺作」という感じでいくんだ ろな。「こういうの残したかったんや、高木は」という「遺作」かもしれんし、これで最後だから、もう、今まで隠してた部分とか、素直にやったりしたいんや ろな。展示もそうですけど、これに関してはそういう想いがあるな。



- また新しい挑戦ですよね。

Masakatsu Takagi: ばかよね。毎日ほんまに思う。それがやりたいって。気楽ではないけど、音楽ってそういうものじゃないの、作るってそういうことじゃないのって分かっているから、本当は気楽な世界でしょ。
気 楽で真剣でっていうところがやりたいのに、「せっかく今まで積み重ねてきたのにバカだね」っていう囁きが頭によぎる。それにはまると眠たくなる。(笑)今 日はピアノなしって。(笑)今の歳でこういう機会があるから、《girls》みたいな自分にとっても他の人にとっても大切だと思ってくれる曲ができればい いなっていう思いだけですけどね。それをやるのに、意気込んで弾いたり、やっていくのか。肩の力を抜いて、やったほうがいいのかっていう。



- 悩んでますね。笑

Masakatsu Takagi: 皆はどうですか?こういうお仕事をやられていて、書いたり表現をやっていて悩まないですか?



- 取材になると、その日にしか出来ない会話を大事にしますね。予め決めたことを質問しない。ある程度、聞きたい話しはあるんですけど、その場の流れを見ながら深い方へ進める。気楽といえば語弊がありますが、委ねれる分、悩みもないですね。

Masakatsu Takagi: これしか出来ないからって。気楽になってきたんかな。気楽ってこんなに恥ずかしいんや。着飾ったほうが楽やんね。パジャマの姿で出るようなもんやね。



- だんだん格好とか気にならなくなってきて、どうしようかなと思って。

Masakatsu Takagi: どうしようかなと思うよね。パジャマのままとかどうするよ。お風呂上がりで行ってしまったら。(笑)



- ソロコンサート楽しみにしています(笑)本日は長い時間、ありがとうございました。
ソロコンサート後にまたお話聴かせてください。





Ymene – Takagi Masakatsu Piano Solo Concert Tour イメネ – 高木正勝ピアノソロコンサートツアー

【東京公演】

開催日:2010年12月16日(木)

at :東京 めぐろパーシモンホール

open / start :18:00 / 19:00

チケット:全席指定5,000円(税込)

チケット販売:一般発売9/4~

詳細:http://www.persimmon.or.jp/



開催日:2010年12月17日(金)

at :東京 めぐろパーシモンホール

open / start :18:00 / 19:00

チケット:全席指定5,000円(税込)

チケット販売:一般発売9/4~

詳細:http://www.persimmon.or.jp/
東京アートミーティング トランスフォーメーション展覧会情報

会期:2010年10月29日(金)~2011年1月30日(日)
休館日:月曜日 *ただし1/3, 10は開館、12/29-1/1, 1/11は休館
開館時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)

主 催:東京都、東京都現代美術館・東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人東京都歴史文化財団)、 東京新聞、東京藝術大学
特別協力:多摩美術大学芸術人類学研究所
助 成:ブリティッシュ・カウンシル財団法人ベルギーフランドル交流センター
協 力:NECディスプレイソリューションズ、株式会社ヤマト



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