Column
Recent Article
Open Close

カルチュラル・ランドスケープ・アーキテクチャ・バイ・ロー
第2回:Beyond the music




 2012年現在、音楽という産業、アートフォームほど状況が激変している分野も他にないのではないだろうか。
 2012年4月、アメリカ・デトロイトのハウス・ミュージシャン、Moodymannの新作EP『Picture This』が無料ダウンロードで公開された。このデトロイトの深海の住人は、無料ダウンロードのようなリリースとは、もっとも遠い位置にいた。学生時代に彼のレコードを、渋谷・宇田川あたりのレコード店を渡り歩いて探した頃のことを思うと、隔世の感は否めない。
 ここには、大きく分けて2つの変容がある。1つは、音楽がCDなどのパッケージからデジタル配信に移行し、宇田川のレコード街からレコード店というプレイヤーが姿を消したこと(あるいはそれらが実店舗からネットに移動したこと)。もう1つは、Moodymannの新作が「無料」で手に入るということである。
 このように、インターネット/デジタル技術は、作曲・レコーディングという音楽制作、ユーザーによるリスニング環境だけでなく、音楽データ配信やフリー・ミュージックを氾濫させることになり、レーベル、レコード会社、ディストリビューター、レコード店などで形成される音楽産業までを大きく変容させてしまった。
 では、これから音楽はどこへ行くのか?それが今回のテーマである。


サウンドの権利の所在

 著作権の世界では、音楽は、メロディー・和声(ハーモニー)・リズム・形式(ミュージカルフォーム)、そして歌詞という要素から成り、著作権侵害が成立するか否かを判断するためには、これらの要素を比較しなければならない(とされている)。
 しかし、サンプラーやDAW等のデジタル技術の発達により、音楽に存在するオリジナリティの所在と、権利として法的に保護される部分の所在にズレが生じるようになってきているとの指摘がなされるようになって、すでに短くない年月が経過した。このような状況は、インターネット/デジタル技術により、ますます顕著な様相を呈している。

 「音楽がメロディと歌詞との組み立てではなく、抽象的な音の質感のタペストリーとして作曲され得るという考え方に対処できる確かな法体系はない。」(ブライアン・イーノ「音楽の共有」)

 このイーノの言葉は、日本においても、欧米においても、等しく当てはまる。現在の著作権法は、ポピュラー音楽を含む西洋音楽を前提として立法されており、そこに収まらない音(サウンド)については、「音楽」としての権利保護は受けられない可能性が高い。たとえば、イーノ自身の楽曲に存在するアンビエンスやアート・リンゼイのノーチューニングのギターノイズが、どこまで著作物として著作権により保護されるか?という問いに、現行の著作権法やこれまで蓄積されてきた判例・裁判例は明快な解答を用意できない。ここで我々は、著作権という権利が、いかにメロディやコード、ハーモニーといった西洋音楽の構造を前提にしか機能しないことに思い至るわけである。
 また、デジタル技術と、インターネットによる音楽のアーカイヴまたは検索容易性を前提として、過去の楽曲の引用・参照がより容易になったことにより、既存の楽曲を再生することと新しい楽曲を制作することの境目が曖昧になってきている。実際、映画『Ripリミックス宣言』(監督:Brett Gaylor)というリミックス・カルチャーと著作権問題を扱った映画における、ミュージシャンGirl Talkの音楽制作や、後述のロサンゼルスのレーベルDubLab周辺の音楽カルチャーと「音楽のリサイクル」をテーマにしたドキュメンタリー『Secondhand Shureshots』に収録されているDaedelusやRas Gなどの音楽制作風景を観ると、音楽制作環境のデジタル化によって、既存の楽曲を利用することと新しい楽曲を制作することとの間にオリジナリティの差異は見当たらないということを目の当たりすることとなる。
 過去の楽曲の大胆なサンプリングは、1980年代後半から1990年代前半にかけて、サンプリングした側が相次いで敗訴したことから、一部高額なライセンス料を支払える有名ミュージシャン以外は使用できなくなり、下火になった(このあたりの事情については、サンプリングと著作権問題にフォーカスした映画『Copyright Criminals』に詳しい)。そして、著作権の問題によりサンプリングが弾圧された後にミュージシャンに残されたサンプリング手法は、いかに「細かく」するか(バレないようにするか)、または、いかに権利が生じていない部分を発見して切り取るか、の2パターンにならざるを得なくなった。
 たとえば、ドイツのテクノ・ミュージシャン、ヤン・イエリネック(Jan Jelinek)が2001年に発表した『Loop-finding-Jazz-records』は、このサンプリングに関する問題を象徴するレコードである。このレコードは、様々なジャズのレコードのアンビエンス(具体的に言えば、サックスの吹き終わりに残る残響など)のみをサンプルして制作された、まさにタペストリーと言うべき美しいミニマル・ミュージックであった。しかし、一聴しても、このレコードのサンプリング元が往年のジャズのレコードなどということは到底わからない。このレコードは、先に挙げた2パターンである「権利が生じていない部分」を「細かく」サンプリングした、サンプリング・ミュージックの1つの到達点として評価できるとともに、著作権的な観点からみても、音楽制作の現代的変容を切り取った極めて批評的なものだったといえる。
 音楽史が進むなかで、メロディやコードといった有限な部分を権利で縛っていけば、やがて作れる音楽はなくなってしまうだろう(少なくとも、自由に使える部分は減っていくのは間違いない)。短期的な視点に基づく著作権の過剰な強化は、音楽文化を衰退させ、著作権法の目的である「文化の発展」(著作権法第1条)に反する結果を招来することは自明である(権利の保護以外にも、著作権者に対価を分配する方法はある)。 



<Score for “Ambient #1 Music for Airports” Brian Eno>


リミックス文化の成熟

 インターネット/デジタル技術の進化は、音楽リスナーの音楽への「参加」と「公開」の敷居を大きく下げた。これにより、プロだけでなく、アマチュアも、インターネット上で等しくリミックスを公開することができ、時には、プロが制作したリミックスよりもアマチュアが制作したものの方が注目を浴びる事例も出てきた。
 先に触れたロサンゼルスの音楽レーベルかつネットラジオ局であるDubLabは、Creative Commonsと共同で「Into Infinity」というリミックス・プロジェクトを行っている。このプロジェクトは、50組近くのミュージシャンからビートを、またアーティストからレコードサイズのビジュアルを提供してもらい、それをインターネット上でユーザーが自由にリミックスし、録音し、それを非営利目的であれば自由に使用できる、という試みである。提供されたビートやビジュアルはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが付与されており、音やビジュアルの創作の連鎖が促されている。この「Into Infinity」だけでなく、Carlos Ninoによる新旧のミュージシャンを招聘するジャズ・プロジェクトBuild An Arkや、映像作家B+らによる音楽ジャンルと世代を超えて行く瞬間を捉える『Keepintime』や『Timeless』などの映像シリーズなどでも明らかなように、DubLab周辺の活動は、音楽文化の地域的な交配、新旧の人的交配が強く意識されており、今世界でもっとも豊潤なサウンドを生み出していると感じる。ここでは、音をリサイクルすることで、サウンドとして何度でも甦らせること、言わば「音のリサイクル」といったことが企図されているのだ。



<DubLab>


 また、日本における直近の事例としては、テクノ・ポップ・ユニットPerfumeが、モーションデータと音楽データの一部をオープンソースにして公開する試みが注目される。これまで、音楽におけるオープンソースのプロジェクトは、一部の作家性の強いミュージシャンが取り入れるに留まってきたが、このPerfumeによるプロジェクトは、ポップ・ミュージックにおけるオープンソースの試みとして画期的な先例となるだろう。 
 このプロジェクトは、なお現在進行形でYouTube等の映像プラットフォーム上に多くの二次創作を生み出しているだけでなく、ソフトウェア開発のプロジェクト管理システムであるGithub上では、技術者同士のアツいやり取りも繰り広げられているという多方向のプロジェクトになっている。同じく著作権を緩めることによって世界的な盛り上がりを見せている初音ミクと共に(初音ミクを販売しているクリプトン・フィーチャー・メディアは、初音ミクを使った動画などの2次創作について、「無償公開」や「登録した上で、材料費程度の価格で頒布」することを公式に認めている)、日本のコンテンツを海外へ輸出する新しい手法としても先鞭をつけたと言えよう(公開されたPerfumeのモーションデータを使って初音ミクを躍らせるMAD映像を観たときには、さすがに万感の思いがあった)。

 このような、一方向・単発的なリミックスではなく、より同時多発的かつ双方向なリミックス文化の加速は、インターネット/デジタル技術によるリミックス文化の成熟、そして時代が「複製の時代」から「改変の時代」へ移行してきていることを示している。
 そもそも、音楽に限らず、なんらかの創作的行為がゼロから何かを生み出すものだという前提に、筆者は懐疑的である。クラシック音楽ですら、楽譜というソースを後の解釈者が各々に翻案していくという二次創作の文化である(この極めてシンプルかつ自明な事実すら指摘されることは今まであまりなかったように思う)。「人間はゼロから何かを生み出すことはできない」という一種の諦念、否、事実をインターネット/デジタル技術はあけっぴろげに露わにしてしまったにすぎない。



<Perfume Global Site>


音楽の「所有」から「共有」へ

 ここまで、サウンドの権利の所在や、リミックス文化の成熟について触れてきたが、インターネット/デジタル技術による音楽の変容として、より大きなものとしては、音楽がCDなどのパッケージという有体物から、デジタルデータという無体物という形に移行したことによるものだろう。
 Apple社が2003年にリリースしたiTunes Music Store(iTMS)は、iPodというツールとともに、音楽の受容の在り方をパッケージ購入からデジタル配信に急速に移行させた。
 現在、米国ではSportfy, Pandora, Tunrtableといったストリーミング・サービスが隆盛している。最近欧米に行った友人に話を聞くと、もはや欧米ではiTMSでは音楽を聴いていない、みなSportifyなどストリーミング・サービスで聴いているという話をよく耳にする。
 このようなストリーミング・サービスの隆盛の背後には、Napstarが魅せたユートピアと、そのサービスの挫折がある。Napstarは、当時若干19歳の学生であったショーン・ファニングが1999年に発表した、P2Pファイル共有技術を利用して、ユーザー間であらゆる音楽を「共有」し、そこから自由にダウンロードさせてしまうというサービスであった。iTMSは音楽データにお金を払い、音楽(データ)を「所有」する仕組みと言うことができるが、Napstarは、もはや音楽を「所有」するのではなく、1人では到底集められないような、膨大な音楽のコレクションをユーザー間で「共有」するという「夢」を見せてしまった。
 しかし、Napsterは、2000年代初頭から、全米レコード協会(RIAA)やレコード会社、著作権管理団体から相次いで訴訟を提起され、それらの争いにことごとく敗訴し、頓挫してしまった(ただし、当時のNapsterの内部事情を克明に描き出した『ナップスター狂想曲』を読むと、Napstarが失敗した原因が決して権利的な問題だけではないことがわかる)。
 そこで、Napstarが一時的にも魅せてしまったユートピアを権利的にクリアするべく出てきたサービスが、先述したストリーミング・サービスである。これらのサービスは、ユーザーに楽曲をダウンロードさせるサービスを提供させるのではなく、あくまでストリーミングのみを提供するサービスを行っている(ダウンロードできないので音楽データを「所有」はできない)。Sportfyは、ユニバーサル、ソニー、EMI、ワーナー等のレコード会社から膨大な楽曲についてストリーミングのライセンスを受けており、Sportfyのサイトには「バッハからビョークまで」という謳い文句が踊っている。TurntableはMedianetという合法的にストリーミングのライセンスのカタログを有している会社と契約している。



<Sportify>


日本における原盤権の問題

 このような欧米の音楽におけるストリーミング・サービスや、「所有」から「共有」へという流れは、2012年6月現在未だ日本では広まるに至っていない。そのもっともたる要因が、権利、ライセンスの問題であると言われている。
 アメリカでは全米レコード協会が中心となって、2000年に「SoundExchange」という、著作権から原盤権までを一括して簡易に権利処理できるスキームを作った。また、アメリカには、レコード会社からのライセンスの「カタログ」を集め、それ再ライセンスすることをビジネスにしている会社が存在する(上述のTurntableが契約しているMedianetなど)。
 一方、日本では、音楽著作権はJASRAC(日本音楽著作権協会)が管理しているが、原盤権(日本では「レコード製作者の権利」というのが正式名称である)はレコード制作に資金を拠出したレコード会社、音楽出版社、ミュージシャン自身がそれぞれ独自に、または共有して管理している。しかしながら、日本には、原盤権を一括して管理運用できるような機関は存在しない。従って、音楽サービスを行うためには、著作権についてJASRACに許可を得たうえで、上記のような原盤権利者をまず探し出し、そのうえで、彼らと交渉し、多くの場合対価を支払わなければならない。このような気が遠くなるような状況から、日本でも、海外のように原盤権を一括して管理運用できるような仕組みを切望する意見は後を絶たない。
 また、日本では、音楽のレンタル産業が未だ幅を利かせていることも歯止めになっているという指摘もある。
 もっとも、音楽の「レンタル」は、実は「共有」の一つの形態でもあるとも考えられるので(その意味では日本ではすでに欧米とは違った独自の音楽「共有」の仕組みがあったという言い方も可能である)、日本における独自の音楽レンタル産業が、欧米の音楽「共有」の流れと今後どう邂逅していくかは、興味深い問題である。
 そもそも原盤権は、レコード制作に莫大な制作費がかかることから、レコード製作者に特別な保護を与えるために立法されたものである。しかし、レコード制作が安価で可能になった今の時代に、本当に原盤権という権利が必要なのか、必要であるならばその権利の形は今のままでよいのか、などということが再考されてもよいように思う。


音楽体験の共有

 また、音楽の「所有」から「共有」へという流れは、リスナーの音楽受容の在り方について、ただ「聴く」だけではなく、音楽を「体験する」ことへと緩やかに変容させている。
 CD等の音楽のパッケージの消費が急激に落ち込む一方で、ライブや野外フェスティバルの動員数は逆に増えているという指摘が2000年代初頭からなされるようになった。これは、音楽受容が「聴く」だけでなく「体験」へと移行しているというわかりやすい現れといえよう。
 マドンナは、2010年に、これまで長期にわたって所属していたレコード会社を離れ、コンサート運営大手ライブ・ネーションLive Nationと、総額1億2000万ドル(約140億円)の包括的契約を締結したと発表した。報道によれば契約期間10年間。ライブ・ネーションはマドンナのスタジオ・アルバム3枚の権利やコンサートツアーのプロモート権のほか、関連商品の販売権などを獲得する代わりに、マドンナ側は金銭および株式を受け取るという契約形態だという。その後、U2やJay-Zも同様の契約を結んだことが発表されたが、CDの売上げが減少し続けている現状において、これまでCDの売上げに頼ってきたメジャー・ミュージシャンたちは、CDの売上げに頼らない、契約形態に移行していくだろう。日本でも、ライブ運営会社と契約とまではいかないが、レコード会社との間の契約ではCDの売上げに頼らない包括的契約が増えている。これまではライブがCDのプロモーションの場だったが、もはやCDがライブのプロモーションである、という位置付けも共通認識になってきている。
 ライブや野外音楽フェスティバルの隆盛以外にも、都市における音楽体験を提供する試みとしては、ロンドンで始まり、ここ日本でもローンチしたMusicityというプロジェクトが興味深い。このプロジェクトは、その場所に行けば無料でその場所に因んだ音楽をストリーミングで聴くことができ、また、家に帰ってからアクセス履歴と照合することによって、音楽データをダウンロードすることもできるというものである。「サウンドスケープ」という言葉があるが、都市の中でその場所でしか聴けない音を見つけることは、まさに文字通り、都市に溶けていく音を体感できる仕組みになっている。都市体験と音楽体験をデジタル技術によりクロスオーバーさせる興味深い試みといえよう。
 さらに、日本におけるDOMMUNEは、クラブという都市における音楽「体験」をソーシャルメディアを利用して、リスナー1人1人の部屋に持ち込むという都市型音楽体験の共有という側面もある。上述した野外音楽フェスも、たとえば、アメリカのCoachellaフェスティバルやイギリスのGlastonburyフェスティバルが顕著なように、Ustream等のソーシャルメディアを駆使して、フェスの興奮をリアルタイムに世界中に配信している。ソーシャルメディアの発達により、場所、国境、時間を超えて音楽体験を共有することがこれまで以上に容易になり、音楽はより「体験的」な対象に移行している状況がある。



<Musicity>


インターネット/デジタル時代の音楽の在り方とは

 2012年1月、日本のインストゥルメンタル・バンド、サンガツが、今後の楽曲に関して、著作権の放棄または不行使を宣言して注目を浴びた。サンガツは「音楽はクックパッドになっていく」、「itmsやsportfyよりもクックパッドの方が先に行っているのでは?」などという発言をしている。その意図の全貌は、現時点では俄かには明らかではないが、彼らはここ数年、楽曲を解体し、楽曲と空間の境目を曖昧にするようなライブ・パフォーマンスや、図形楽譜などを用い、楽曲のつくり方をつくる「Catch and Throw」などといったプロジェクトを行ってきた。それらには、単に「ユーザー参加型音楽」といったものには留まらない、音楽の発信・受容の在り方、さらに音楽そのものに対する批評的なまなざしがあるように感じられる。同時に、彼らは音源をレコード化することもやめていくとも述べており、音楽がレコードというフォーマットに閉じ込められることに窮屈な感覚を持っていることは容易に予測できる。ここには、先に述べた「レコード」概念への疑念とともに、音楽には楽曲や音源を「聴く」だけではなく、その先にもっと様々な音の「楽」しみ方があるのでは?という可能性への訴求があるように感じられる。



サンガツ


 インターネット/デジタル時代における音楽をめぐる環境は、極めて複雑に入り組んでいる。そのように複雑に入り組んでいるがゆえに、この時代に音楽による表現活動を真摯に行えば行うほど、権利の問題にぶち当たる。良いか悪いか置いておいて、そういう時代にあるということなのだろう。
 さいごに、再びブライアン・イーノの言葉を引用したい。

 「この(音楽に関する権利の帰属や収益の配分に関する)見直しは、それぞれ実は、文化的な価値がどう作られるのか、異なる文化的な価値がどこからくるとわれわれが考えているのか、異なる文化的な価値の相互関係はどういうものなのかということに関する、新しい見方なのである。だからこれらは最終的には、「オレはいくらもらえるの?」というつまらない問いではないのだ。」
(ブライアン・イーノ「音楽の共有」。括弧内は筆者による補足)

 イーノも言うように、現在音楽を取り囲んでいる問題の考察は、決して音楽にかぎった話ではなく、我々の文化全体の問題でもある。
 にもかかわらず、昨今の音楽をめぐる議論は、文化的な価値の探求をよそに、配信技術やプラットフォームの是非、そこに立ちはだかる権利の問題等にフォーカスされすぎているように思う。
 インターネット/デジタル時代における音楽の在り方について、何か回答めいたことを用意できればと考え、本稿を書き出したが、現段階で筆者はその答を持たない。
 しかし、筆者は、DubLabに代表されるロサンゼルスに、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ヴィム・ヴェンダース監督)に観られたキューバに、もっと言えば、日本映画『サウダーヂ』(富田克也監督)に観られたように、甲府という閉塞感極まりない場所においても、車にサウンドシステムを積んで、田んぼの横で踊っているブラジル人たちに、音楽文化の豊かさを感じてしまうのである。
 20世紀を生きてきた我々は、これまで音楽を「所有」することに躍起になってきた。だが、「音楽」という文字のごとく、音を楽しむ行為は決して「所有」して「聴く」だけにはとどまらない。音楽を自分以外の誰かと一緒に聴いたり、ライブをリアルに体験したり、ライブの配信を別の場所で観てみたり、自ら音楽を制作してみたり、それをネット上で公開し、あなたの知らない第三者に聴かせて、交流することもできる。これまで以上に素早く、簡単に。インターネット/デジタル技術は、音楽に「所有」して「聴く」以外にも様々な可能性が内在しているという、言われてみたら当たり前の事実を露見した。
 また、Sound CloudやBandcampなどのネット上の音楽プラットフォームを廻れば、これまで聴いたことのないような世界中のミュージシャンたちの音楽が溢れ、これらのミュージシャンとリスナーが直接つながれる時代になっている。パッケージとしての音楽の消費は落ち込んでおり、音楽産業について悲観的な物言いばかりがされているが、それでも音楽に対する興味や関心は衰えるどころか、1人のユーザーの視点からは、さらに活性化しているようにも思える状況がある。そこには、音楽は鳴りやまない、という希望がある。
 音楽を「所有」という概念や「聴く」という行為から解き放つこと。音楽の送り手と受け手の境界が曖昧になり、音楽が都市、空間、そして生活により溶け合っていくこと。非常に抽象的だが、そのように「音」をより広い意味で「楽」しむことの先に、より豊かな音楽文化が広がっているのではないか。そんなことをぼんやりと考えている。

水野 祐(Tasuku Mizuno)弁護士

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 記事クリエイティブ・コモンズ 表示 – 非営利 – 改変禁止 2.1 日本 ライセンスの下に提供されています。



【参考】
・原雅明『音楽から解き放たれるために 21世紀のサウンドリサイクル』(フィルムアート社):http://amzn.to/KxxMUo

・ドミニク・チェン『フリーカルチャーを作るためのガイドブック』(フィルムアート社):http://www.openfa.jp/

・Moodymann『Picture This』:http://www.scionav.com/collection/947

・ブライアン・イーノ(訳:山形浩生)『A Year』(パルコ出版):http://amzn.to/LPicpj

・DubLab:http://dublab.com/

・Into Infinity:http://intoinfinity.org/

・Infinty Loops:http://infinityloops.cc/

・リミックス映画祭2012:http://www.remixfilm.org/#!Home/mainPage

・Perfume Global Site:http://www.perfume-global.com/

・Perfume Global Site関連まとめサイト:http://bit.ly/HFEDMH

・Sportfy:http://www.spotify.com/int/new-user/

・Pandora:http://www.pandora.com/restricted(現時点で日本では使用不可)

・Turntable:http://turntable.fm/(現時点で日本では使用不可)

・Musicity:http://musicity.info/

・サンガツ:http://sangatsu.com/

・高橋健太郎「クラウドの神殿に救世主は宿るか?」(「アルテスVOL.02」(アルテスパブリッシング):http://amzn.to/JYzWe5

・LiFETONES:http://lifetones.net/ja/



連載企画
カルチュラル・ランドスケープ・アーキテクチャ・バイ・ロー

第1回:Copy (is) right ?
http://antenna7.com/dialogue/2012/04/clabl_1_copyisright.html

第2回:Beyond the music
http://antenna7.com/dialogue/2012/06/clabl_2_beyond_the_music.html

第3回:Between images and us
http://antenna7.com/dialogue/2012/12/clabl_3_between_images_and_us.html

Concierge
Editor:
avatar

hitspaper

Facebook