食のトポロジー
January 26, 2011 5:58 PM

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photo by Marina Aurora


2011年になりましたね。
遅いご挨拶となってしまいましたが、本年も決して奢る事なく、1歩1歩、並走してくれる仲間と共にHITSFAMILYは進んで行くので、今年もどうぞ宜しくお願いします。

さて、一昨年くらいから少しずつ料理をする機会が増えて、何だか料理の奥深さに心底感服し、料理やその背景に舌鼓を打っているのですが、探求すればする程、食には様々な文脈が絡み合い、私達に素晴らしい創造性を与えているように思えます。
食に関しては、未だ、勉学中の身ではありますが、『食』がどのようにクリエイティビティと親和性を持ちうるのか、その可能性を今日は探求してみたいと思います。




『食』の媒介場『キッチンとデザイナー

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食をミニマムにシンボライズし、キッチンをコミニケーションの場へ


『食』は私達が生活を営む上で、電気・ガス等の都市インフラと同様に、否、それ以上の体内インフラを形成・整備する根幹を成すものです。
『食』が私達へコネクトする時、『ダイニング』や『キッチン』という場が媒介場としてその役目を担ってきました。
『ダイニング』や『キッチン』は人類の歴史上、多くの感情の許容の場であり、人の生活の現場を投影してきたスクリーンとも言えるかもしれません。
現在、この『食』を虚心坦懐に眺めると、各々の領域を包括して人類の物語が凝縮していような気がするのです。
ここには、クリエーターにとって、多くの学ぶべき創造性のヒントが隠されているのではないでしょうか。

さて、『食』を掘り下げる時、過去その多くは食卓がテーマされる事が多かったように思いますが、HITSPAPERの視点では、メタ的な位置にある『キッチン』について読み解いてみたいと思います。
『キッチン』は、現代に於いて、その機能・役割は多岐に渡ります。

色彩鮮やかな食物や食器が並ぶ視覚の世界であり、調理の音がハーモニーを奏でる聴覚の世界であり、微妙な隠し味を探し当てる冒険を試みる嗅覚の世 界であり、身体性を伴う労働として振動を手に感じる触覚の世界であり、勿論 これらの完成品=成果物を堪能する味覚の世界でもあります。
また、オブラートに包まれてこそいますが、生死という大きなテーマ(社会にセットされた生死の物語が紡ぎ出されています)が、内包された哲学の世界でもあります。

そして、皆の胃袋に栄養素を届ける心臓部であり、世界中の多種多様な文脈の素材が集まる空港のような玄関であり、また、それらの貯蔵庫であり、人々のコミニケーションに於ける接点でもあります。
親子では教育の場でもありますね。
躾に始まり、レシピによって定められた素材から、調理し、完成形を示す制作のプロセスを伝授します。
そのレシピを破る事で、オリジナリティの制作といったアイデンティティの確立といった事まで起こるかもしれません。
食卓に対面式に着席すると照れてしまう私にとっても、『キッチン』は料理に気をとられている母親に、間接的に悩みを相談できる生の現場でした。

このような生の現場『キッチン』の持つ役割は、現代になって明確に認識されてきていると同時に、あらゆる可能性を秘めています。
そして、レストランの外観や内観、そして料理の完成品と同様に、デザイナーにとっても十分に腕を揮う機会があると思います。
そもそもデザイナーと料理人は、親和性が高い職業ではないでしょうか。
例えば、料理の素材とデザインのリソースの選択眼や、レシピ法、完成系へのアプローチ方法、そして盛りつけの美など通じる事が多いのです。

では、『キッチン』に於いてデザイナーはどのような役割を演じる事が出来るでしょうか。
『キッチン』という場は、多くの情報、物資が混在し、しかもその入れ替わりのサイクルが速い場所です。
こうした場でデザイナーは、この多岐に渡る情報を論理的に整理し、それぞれの用途に応じて明確なアイコンとしてシンボライズする必要があります。
何故なら、『キッチン』はコミニケーション・ツールとなる媒介器具が所狭しと並んでいるからです。
『キッチン』をデザインする事、器具、調理素材をキュレーションする事は、人と料理のコミニケーションをデザインするだけでなく、前述した親子関係や恋人関係といった人間同士のコミケーションを設計する事でもあると思います。

こんな魅惑的な場を私達はおおいに見落として来ていたのではないでしょうか。




『食』と『芸術』の蜜月

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料理の三角形で食文化の体系化を図ったクロード・レヴィ=ストロース


アーティストにとって『食』とはどのような領域でしょうか。
私が説明するまでもなく、『食』は現代社会の問題を提言するテーゼとして、多くの先人達が言及しており、申し分のないモチーフに成りうると謂えるでしょう。

例えば、ニーチェやハリー・S・トルーマンは、料理、キッチンをこのような比喩として用いています。

"Bad cooks - and the utter lack of reason in the kitchen - have delayed human development longest and impaired it most." Friedrich Nietzsche
「キッチンの中で絶対的な欠落 おいしくない料理は、人間性の成長を長期に渡り遅らせ、最上級の障害となります。」 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ


"If you can't stand the heat, get out of the kitchen." Harry S. Truman
「熱さに耐えられないなら、台所から出ていきなさい。」 ハリー・S・トルーマン
(重圧や困難に耐えられないのならば身を引くがよい)



偉大な社会人類学者クロード・レヴィ=ストロースも、料理の三角形や食人というテーマを介して、人類にとって非常に重要な『食』を通じたテーゼを発していますが、現在でも存在する食のタブーには、宗教や倫理など、人種を越えた人類の大きな問題として、また、社会に組み込まれた自然との非対称性を顕著に現しています。

クロード・レヴィ=ストロースの言葉を借りてみましょう。

「私のための歴史」の主観性が「われわれのための歴史」の客観性にその場所を譲りうるものであるとしても、その私をわれわれに転換しうるためには、そのわれわれは私の自乗でしかあり得ず、それ自体が他のわれわれに対しては完全に閉ざされている。
こうして、自我と他者の解き難い対立を克服したという幻想をうるために、その代償として、形而上学上の「他者」の役割を歴史意識によってパプア人に押しつけることが行なわれる。
パプア人を哲学的食欲を満たすためだけの手段の立場に落すことによって、歴史的理性は一種の知的食人を実行しているのである。
民族誌を研究する者にとってこの食人は身の毛のよだつ思いのするものである。
それは、もう一つの食人をはるかに上まわる。
~クロード・レヴィ=ストロース 「野生の思考」~


歴史を紐解くと、食にまつわる多くは、その文化、宗教、国民性に大きく影響しています。
『食』の根幹を成す提言は、社会へのオルタナティブな訴えであり、食にまつわるエトセトラから多くの芸術が産まれても良い筈なのだと思います。
宗教観、国民性に問わず、隣人ですら多種多様な『食』への関わりがある筈なのですから。





『食』と『経済』の相似性

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Zeger Reyersによるインスタレーション『roating kitchen』   (photo © rob duyser)
先人の哲学者がキッチンを家庭内に於けるマイクロコズムであると解釈した事に対して、Zeger Reyersは、その思想を更に拡大解釈しキッチンを世界と見立てた。
現代に於ける経済・食料問題をゴミ溜製造機と化していくキッチンで表現している。


「キッチンは、人間の営みを凝縮した小宇宙である。」
私達の体内に取り込まれた食物は、消化によって栄養素となり、血中を通じて体内に拡散されます。
血液は、動脈・静脈と異なる方向性に流れる事で、人間のエネルギーとして富を産み出して行きますが、これを経済システムとしてメタファー的に捉えると、生産者、消費者という二つのベクトルへの流れる循環として捉える事が出来ます。
血液の循環と貨幣の循環は非常に相似性が高いと思いますが、同時に、貨幣というものが最終的な成果物ではなく、その先に生成される"豊かなモノ"を私達が、真剣に考えなければならない事も解るでしょう。
決して、貨幣=富と看做す事は難しいと思うのです。

これらの概念を非常に巧くまとめて提言したのが、フランスの医師・経済学者 フランソワ・ケネーでした。彼が掲げたフィジオクラシー(重農主義)や有名な経済表では、真なる富(増殖する富)が農業によって齎されると説いています。


工業の労働は富を増殖しない。
農業の労働は経費を補填し、農業労働に支払いをし、経営者に利得を得させ、しかもそのうえに土地の収入を生産する。
工業の加工品を購入するものは諸経費を支払い商人の利得を払うが、この加工品はそれ以上に何らの収入を生産することはない。
かくて、工業の加工品には富の増殖はない。
この加工品の価値はその労働者が消費する生活資料の価値が増すだけであるからである。
...
「富の創出」を言う場合には、その基本価格を超える売上価値の超過分が問題とされる。
「純生産」はまさに「大地の贈り物」から引き出される利潤にほかならない。
~フランソワ・ケネー 『穀物論』~

農業は母なる職業であり、自然から真に賞美され大切にされた唯一のものである。
というのは、そこでんされた数日の辛苦の報酬として、自然はまるまる何ヶ月もその仕事のために働いてくれる唯一のものだからである。
~ミラボー「人民の共」より~


共に中沢新一著の 『カイエソバージュ』より。


現代社会に於いて、この人類史上の革命とも謂われる農業が再度見直されています。
農業には、その生産システムや方法論、例えばトレーサビリティやフェアトレードなど新しい経済システムへのオルタナティブや標榜を高々と掲げる旗手となっていると思うのです。
地球法が燦々と輝いていた時代。
生きとし生けるもの霊魂への敬いであるアニミズム的な概念を有していた時代。
こうした時代の『食』の概念は現在とは異なり、自然や動物に敬意を示していた時代でした。
現代とこうした時代の断絶や喪失してしまったプロセスを探求する事で、私達が進むべき新しい経済システムの答えが『食』を取り巻く状況から姿を現すかもしれません。














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色彩論から考えるニューエイジ・デザイナー
November 1, 2010 6:29 PM

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久しぶりのブログのようなものを書きます。
無性に文章を書きたいのは、最近関わっている、東京大学の科学研究者グループを中心に結成された「SYNAPSE」の学術的な側面から見たデザインにインスピレーションを受けているからです。
メンバーは、菅野康太 氏(@canno696show)、飯島和樹 氏(@k_iijima)、住田朋久 氏(@sumidatomohisa)、NOSIGNER(@_NOSIGNER)、塚田アリナ(@arina02)。
僕は、デザイナー/メディアとしての視点で関わっているのですが、学術という領域を越えて様々なデザイナーにも共有して欲しいと思い筆ならぬキーボードを叩いている訳です。
最終的な彼らのアウトプットは、来年リリースになるだろうSYNAPSE vol.2で確認して欲しいのだけれど、そのプロセスの中で私が受け取ったインスピレーション、影響からスピンアウトして考える事を定期的に皆さんと共有出来ればと思っています。


ニュートン vs ゲーテ
対立項その両極に作用し合う「くもり」のレイヤー


ある一つのテーマを浮かび上がらせる時、僕らは対立項を引き合いに出して、そのテーマを掘り下げる手法を使います。
企画やデザインに於いてこうした手法は、知らずの内に起こしているビヘイビアだと言えます。

さて、その二元論は、例えば生死、善悪、男女など様々な対立項を思い浮かべる事が容易に出来ると思います。
勧善懲悪としてそれは宗教的、そして政治的なプロガバンダとして利用され、構造的には誤謬を産み出しやすくなっているのも事実ですが。

さて、ここでデザイナー的観点でとても面白いネタを東京大学の神経科学研究者の飯島さん(@shokou5)に教わりました。
それは、デザイナーにとって大切な色彩について。
その昔、ニュートンとゲーテが色彩論で論争をしており、その立証方法・捉え方が非常に面白いのです。

簡易に説明するとニュートンはプリズムの実験から得た色彩論は物質的側面の解釈であったのに対して、ゲーテは感覚的、精神的な作用について言及していて、「色彩を私達がどのように感じ、精神的作用を受けるか」という心理学的側面の解釈を持ち出しています。
ここで面白いのは、色の知覚に光と闇そしてその中間層によって色彩が成立するというゲーテの論述で、光に対して、闇という対立項を持ち出し、その両極に作用し合う「くもり」のレイヤー層の存在によって初めて、僕らが色彩が知覚出来るという事です。
ゲーテは色彩をより有機的に生き物のように蠢くものとして捉えたのですね。

さて、少し話はスピンアウトしますが、これは色彩に限らず、経済学でもこうした研究が進行しているようですね。
例えば、資本主義では会社が存在する理由として、利益を最大化するというビヘイビアが正当でありますが、これは物質的な側面しか捉えておらず、ゲーテ的な概念で捉えるならば、どのように感じ、精神的作用によってどう行動するかというドライバーについて言及される必要があります。
ゲーテが次世代の未来を憂いてニュートンの光学を執拗に反証したという事実は、実は現代社会に置いて非常に意義がある事だと感じます。
ゲーテが光と闇の対立項の間にある「くもり」を重要なレイヤー層として挙げたのは、未来のメッセージであり、事実、現状の世界を写しているのではないでしょうか。

では、この「くもり」を現代社会的解釈をすると、どういったものになるでしょう?



グラデーション化した世界
グラデーションを横断するデザイナー


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現在の世界を見渡すと嘗てのような大きな対立軸を抽出するのは難しように感じます。
古くは、グノーシス主義や宗教でも善悪の神が必ず存在するし、近年で挙げるのであれば、大きな対立項は第二次世界大戦後の世界を二分した冷戦、資本主義・自由主義と共産主義・社会主義の対立構造が挙げられますが、現在はよりフラット化し、小さな対立軸を集積したグラデーション化した世界へと移り変わっています。

しかし、そうした世界でも、パレスチナやアフリカ諸国など未だに植民地時代に端を発した紛争が後を絶つ事はないし、先進国や発展途上国の温度差も埋まらず環境問題も人類が抱える大きな問題で、混沌とした時代には変わりないだろうと感じます。何が正しい道なのか、成長しているのか、停滞しているのかすら判明しません。
ではグラデーション化された世界ではどのような事を指針として、私達は進んでいけば良いでしょうか。
個人的な見解では、演繹法や帰納法といった推論ではなくアブダクティブな推論が必要なのだと思います。問題となっている事柄への解答の仮説を推論して、少しづつ集積していくという方法です。


デザイナーにとって、こうしたグラデーションの上を、二つの項、一方はニュートンのような物質的側面の解釈、一方はゲーテのような感覚的側面の解釈を常に何度も行き来する存在だと思います。理論と感覚を兼ね備えた存在ですね。
このグラデーションを行き来するという事は、実に珍しいポジションに居るように思うし、未来のクリエーターが成すべき創造はこの対立項をメルトダウンさせ、時には個人間、組織間の対話プロトコルとなり、美しいグラデーションを描く事のように思います。
これは政治的ガバナンス構造や、経営構造、業態構造、組織構造といった広義的なデザインまで含む考え方です。

デザイナーがこのグラデーション化した世界で貢献出来る事は、非常に大きいと思うし、その故に、あらゆる業態とコラボレーションをし、また業態間を繋ぎ合わせ、ファシリテーション的な編集までこなすマルチプルなデザイナーの出現が求められています。

HITSPAPERの次の3年の大きな目標は、業界内、業界間をメルトダウンさせ、こうした新しい考え方を持つクリエーター、クリエイティブ・クラスを産み出し、サポートしていく事になるでしょう。












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フラクタル構造から抽出する同型性
October 17, 2010 6:04 PM

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上記はEric Fischerのある都市の地元住人と旅行者の活動範囲をビジュアライズした作品「LOCALS vs TOURISTS」。
青が、LOCALS(地元住人)、赤がTOURISTS(旅行者)。


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こんばんは。
HITSPAPERの佐々木です。

最近、夜中の1時過ぎに帰る生活を続けていて、布団に入るのが、2〜3時頃、そこから読書をするのですが、どうも瞼が重くて言う事を聴いてくれない。1ページ読んでは額に本を落とし、目が覚めて、また、落とすの繰り返しで全く読書が進みません。
そんな知識のインプットが少ない状況でも、偶発的な出会いによってインスピレーションを得ることもあります。今日はそんなシンクロニシティのお話をしたいと思います。



人体と地球のフラクタル構造を知る

エリック・フィッシャー(Eric Fischer)
という写真家をご存知でしょうか?
都市を中心に作品を撮り続ける写真家で、彼の作品を見たのは、かれこれ1年くらい前だったと思います。その作品中にマッピング・シリーズという都市空間の移動状況(モビリティ)や人口(ポピュレーション)を視覚化するという実験的な写真があり、当初は単純に視点が面白いなと感じていたくらいの印象だったのですが、最近意味のある偶然の一致をこの作品から感じています。

その作品は、彼のマッピング・シリーズ中の「LOCALS vs TOURISTS」という冒頭で掲載している画像です。地元住人と旅行者のモビリティやポピュレーションをマッピングし視覚化したものなのですが、何に見えましたか?

まず、モビリティを含め多くの中心的機能が少数の地点に集中し、そのサービスは多くの人間に到達する設計(所謂、中心地理論)が成されている事実に気が付くと思いますが、この中心地理論は既に研究されている事ですし、専門家の方にお任せするとして、HITSPAPER的視点、前回のコラムでも取り上げた、ゲーテ的な視点をここで採り入れてみたいと思います。

ゲーテの視点を借りて、この作品をつぶさに観察するのなら、僕にはこのマッピングが血管を模しているように見えます。
僕らの体内の血管構造と、俯瞰して地球を眺めた都市という大きな地球の体内でも、同じような(※1)自己相似性(フラクタル)が起こっているように見えませんか。

血管はフラクタル構造をしていて、体内の血管体積をよりミニマムにする(管は体内のリソースとして小さい方が望ましい。逆に酸素などのガス交換の為に表面積は大きくなる)という非常に合理的な目的によって幾何学構造が産み出されています。

また、一方、都市空間も人間の利便性にプライオリティを置き、合理的な解釈で都市計画が進みます(少なくとも理想では)。
このように人体の血管構造と、都市構造は、その合理性から産み出されている事では一致するし、人類の進化によって構築されて来た体内構造と、都市構造が意図せず合致するのは面白い事だと思います。

交通機関が管だとすれば、僕ら自身が血液やそれに含蓄されるガス(情報やサービスを運ぶ存在)だと言えるかもしれない。
余分なものは排出されるし、栄養素が高いもの、必要不可欠なものは何らかの形で体内を循環する。
循環しなければ、病気となり機能不全ないしは死に至る事もある。
これは、僕らの社会でも成り立つ方程式なのではないだろうかと思う。


※1 フラクタルとは: 図形の部分と全体が自己相似になっているもの。例えば海岸線や葉脈と樹木全体の形状など。



段階も大きさも異なる二つの項から
同型(イソモルフ)を成立させる
こと

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上記は人体の血管画像


「LOCALS vs TOURISTS」は、自己相似性(フラクタル)が、この世界に大小こそあれど、至るところに散らばっていて、その一例を指し示しているに過ぎません。
科学・テクノロジーが進化すればこうした自己相似性は限りなく顕在化してくる筈です。

さて、大事な事は、この自己相似性(フラクタル)から僕らが何を学ぶかという事です。
現代では、先進国や発展途上国、後進国、人種、宗教、男女、戦争対立国など数え切れない程、段階や問題の大きさも異なる項が存在します。
そして、それぞれが自らの中に正義を持って行動している。

これらの段階も大きさも異なる問題を解決する方法としてこのフラクタル構造からヒントはないだろうか?
僕が今、提示するとしたら「二つの異なる対象物から同型(イソモルフ)をいかに成立させるか。」がキーになるのではと感じています。
例えば、それは、親と子、教育者と学生の関係に於いて、一方的な学びがない構造と似ていて、学び方、学ぶ事は違えど、守離破を様々な領域で繰り返すように各々、人生・歴史の段階で探求する構造は似ているのではないでしょうか。

ここで、共通項をいかにして探し出し、編集をして、サステナブルな新しいシステム(組織、環境、キャッシュフロー)を組むかは大切なデザインのお仕事です。
謂うまでもなく、前回のコラムでのグラデーション上の横断は、この二つの項に対して同型(イソモルフ)を見い出す事が出来なければ成立せず、右往左往するだけになってしまいます。

この同型(イソモルフ)を探すことはなかなか難しい作業ですが、この共通項を見つけ出す事で、片方のボトルネックとなっている問題を、巧く循環しているもう片方のロールモデルから摸倣して簡単に問題解決する事が可能かもしれないし、より人に寄るのであれば、苦しみを理解する手助けが出来るかもしれません。

世界に眠る同型(イソモルフ)。
その鍵を見つけるのは、至るところにある偶然性の一致=シンクロニシティ(共時性)を見逃さない事です。
その観察眼を持って初めて、新たなスタート地点に立つんじゃないでしょうか。











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佐々木アラタ | Arata Sasaki

HITSFAMILY founder | HITSPAPER Editor in Chief
学生時代には臨床心理学・教育心理学、服飾造形学など内的・外的な関係性、接点を中心に学び、 2006年より独立し、クリエイティブウェブマガジン「HITSPAPER」を創刊。
ウェブマガジン運営、及び、イベントオーガナイズ・アーティストキュレーション、広告企画・商品企画・クリエイティブディレクション等多岐に渡り活動を行っている。

HITSFAMILY: www.hitsfamily.com
HITSPAPER: www.antenna7.com
KOTENHITS: www.kotenhits.com
HITSME: www.hitsme.info
Twitter: @arata_hits